[小説]10月の奇跡(3)

小説/本文

「た、橘!! お前仙台に転勤するって本当か!?」

食堂の掲示板を見て、購買部のデスクに
真っ先に駆けつけたのは満であった。
「…ええ、そうですけど」
橘の声は、心なしか、暗い。
「じゃあ仙台行ったら笹かまぼこ送ってくれよ!!」
…がくっ
気の抜ける満のお願いに、橘はさらに肩を落とす。
「…橘くん…」
満の隣りに、いつの間にかみはるがいた。
「どうしたの?みはるちゃん」
何事もないかのように、笑顔で返事をする橘。
「なんで、転勤しちゃうの…?」
寂しそうに橘を見つめる、みはる。
そんなみはるから目をそらすようにして、橘は語り始める。
「まあ…1ヶ月くらい前から沢井さんに
言われてたことなんだけど…」

1ヶ月前……。

「大島くん、ちょっといいかな?」
午後の休憩時間。自分の席で雑誌を読んでいた橘は、
英司に呼ばれて応接室へと招かれた。

「無理なお願いなのは承知なのだがね…」
英司の話の出だしはこうだった。
「…無理なお願い、とは…?」
「大島くん。君、仙台支社で働くことはできるかい?」
「…せ、仙台!?」
橘は、英司の発言に目を丸くする。
「仙台の生産部の役員がね、幹部とケンカして急に辞めてしまってね。
新しく社員を採ろうとも思ったのだが…何しろ急なことだからね。
新人に1から仕事を教えるよりは、もともといる社員に
そのポジションを与えた方が、仕事に支障も少なくて済むだろう、
と社長がおっしゃってね。」

「は、はぁ…」
「君は入社当時から仕事熱心だし、社長も君のこと、
結構高く評価しているようだからね。社長が君を抜擢したというわけさ」

「で、でも……僕なんかが……」
「あまりにも無理で急な話だからね…即答できないのは当然だろう。
だからもちろん、ただの転勤にはしないよ。
君には仙台支社生産部係長のイスを用意している」

「かっ、係長!?」
入社1年半の橘にとっては、またとない栄転である。
「すぐに返事をしろとは言わないよ。1ヶ月待とう。
ただ出来ればOKを頂きたいね。社長も期待しているから…」

「へぇ~すげぇな、支社とはいえ係長かよ!」
橘の栄転に、羨ましそうに言う満。
「で、でも仙台なんて…」
みはるが何か言いかけたその時。
「あっ、すいません。僕、沢井さんに呼ばれてたんでした。
ちょっと行って来ます」

みはるの言葉の続きを聞くのを逃げるかのように。
橘は走り去った。

「…橘くん…」

「…な、なんだなんだ?お前ら。なんかあったのか?」
いつものみはるらしくない様子と、
橘のそっけない様子を見て、満はおろおろするばかりであった。

それから、橘の転勤の日までの数日間。
みはるは、何かと橘の後を追って話しかけていたが。
橘もそれなりに応対はするものの。
やはり、どことなく冷たいのであった。

10月21日、木曜日の夜。
みはるの自宅。

「ねぇ…みひろちゃんも聞いてるでしょ?」
ぼそっ、とみはるが呟く。
「何をよ?」
「橘くんが転勤しちゃうこと」
みひろは、2段ベッドの上に寝転がって、雑誌を読んでいる。
みはるの方には向かないまま、返事をする。
「そりゃ、聞いてるわよ。あんたから」
みひろはすでにN.H.Kのバイトは辞めていた。
もともと夏休み限定のバイトだったからだ。
時々遊びに行ったりはしているようだが。
「明日で本社最後なんだよ、橘くん」
「だから何?」
そっけないみひろの返事に、みはるは怒鳴る。
「なんで!?なんでそうなの!?なんとも思わないの?
みひろちゃん、橘くんのこと、好きなんでしょ!?」

「そりゃ…寂しいに決まってるじゃない」
みひろは、雑誌を閉じてベッドから起きあがる。
「でも、これは橘さんにとって悪い話じゃないし。
男なんて、出世してなんぼでしょ。邪魔する権利なんて私たちにはないわ」

あっさりと言いのける、みひろ。
「なんで、そうあっさり言えるの?みひろちゃん!!
好きな人がいなくなっちゃうんだよ!?」

「もういいのよ。私は降りたから」
「お…りた?」
「橘さんが好きなのはあんたでしょ」
「!!!」
「あんた、夏に橘さんに告白されたんでしょ?
その返事、『ちゃんと』したの?」

次から次へと、みはるの痛いところを突いてくるみひろ。
「橘さんのこと、どう思ってるの?」
「…………………」
何も言い返せずに、ただ黙る。

「…橘さんの転勤が決まってから、1回だけ会社に遊びに行ったけど…」
しばらくの沈黙が続いた後、みひろが口を開く。
みはるは顔を真っ赤にし、黙ったままだ。
「橘さんの転勤に、みんな寂しがってたけど、
………一生の別れみたいに寂しがってるのはあんただけよ」

「……みひろちゃぁん……」
みはるは突然、大粒の涙を流し出す。
「…あ~あ~、まったく。あんたってば、
昔から頭使いすぎるとすーぐ泣くんだから」

みひろは、みはるの頭をよしよしと撫でながら、
ハンカチで涙をそっと拭う。
「だってだって…あたしぃっ…」
「あんたが思ってること、そのまんま橘さんに伝えてあげなさいよ。
橘さんへのいい餞別になるわよ」

「…でも、でもぉっ…橘くん、
きっと、あたしとなんて口きいてくれないよぉ……」

ここ最近の、橘のそっけない態度は、みはるにこたえていたようだ。
「大丈夫よ!橘さん、私があきれるくらいあんたにメロメロなんだから!」
「橘くん、きっともう、あたしのことなんて好きじゃないもんっ!!!」
「何を根拠にそんなこと言ってるのよ?」
「だってだって…あたし…柊ちゃんに結婚申し込まれちゃったんだもん!!!」

「はぁっっ!!??」

そして、翌日…
橘の本社出勤最後の、10月22日。

「いや~悪かったね~~みはるちゃん~~はっはっはっは」

何故か朝から会社に訪れていた柊に、
プロポーズの返事をしようとしたみはるが、
柊に顔を合わすなり言われた一言がこれだった。
「ご……ごめん、みはる…。私達が二階堂さんに頼んで
一芝居うってもらってたの…」

みはるが真剣に悩んでいたことを知っていた
眞妃と芹子は、みはるにひたすら頭を下げた。
柊のプロポーズがすべてウソだとわかったみはるは、
気が抜けてその場へへたり込んでしまう。
「……そ…そっか……ウソなんだ……」

「ちょ、ちょっとやりすぎちゃったわね…」
「でも、今日で大島さん、本社最後でしょ?
あの子、どうするつもりかしら」

「だーいじょうぶですよ~!
後はほっときましょう~はっはっはっは」

突然、眞妃と芹子の間に割り込んだ柊が、
脳天気にそう言い放つ。
「あ、橘くんの送別会、僕も出席しますからね~はっはっは」
何だかとてもご機嫌そうに、柊は会社を後にした。

終業時間を迎えると、社員一同は
颯爽とオフィスを後にし、会社のすぐ近所にある
料亭で、橘の送別会を開催した。
皆の笑顔に送り出される、橘。
橘も、終始笑顔でそれに答えた。
……だが、その笑顔にはやはりどこか、
寂しさの曇りがかかっていた……

「そいじゃ、おつかれさまーーーーーっス!!!!!!」
「おい満、お前すげぇ飲んでたからな!電車ん中で吐くなよ!!」
「うるへー浪路!!!わーーってるわーーーい!!」
「…頼んだぞ、芹子」
「わかってるわよ。毎度のことだもん」
「それじゃ、あたし電車こっちだから!
大島さん、あっちでも頑張ってね!」

「あっ、ボクお手紙書くねン♪」
「オーシマサン、いつでもアソビにきてクダサイね!!」
「あ、俺、家族みんなで仙台に遊びに行くよ!」

社員それぞれと別れの言葉を交わした後。
家路が同方向な継人だけが残った。
「んじゃ、帰ろーぜ」
継人はいつもと変わらない。
駅のホームに向かって歩こうとする継人。
だが橘は足を止めたまま、空を見上げている。
「…なんだよ、帰らねぇのか?」
「…いや…東京ともしばらくお別れだなーって思って」
「何言ってんだよ、仙台なんてすぐそこじゃねーか」
「…まぁね…」

「……橘くん……」

突然、二人の背後から聞こえたその声は。
みはるであった。
「み、みはるちゃん…」

一瞬にして、これはただごとではない雰囲気だということを察知した継人は。
「悪ぃ、橘さん。オレそこの本屋寄ってくからよ。先に帰ってくれ」
そう言い放つと、継人は駅前の本屋へと向かって走り去った。

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