[小説]微笑の暗殺者(1)

小説/本文

「まったく…いい加減にして下さいよ!!!
無事だったから良かったものの……
もし万が一命に関わってたらどうしてくれるつもりだったんですか!!」

そう言って、普段は荒らげない声を荒らげて怒鳴るのは、橘。
ここは、継人が救急車で運ばれた病院の待合所。
継人の両親は共働きで、駆けつけることの出来ない
両親に変わって従兄弟の橘が治療に立ち会ったのである。
継人の容態は、恭一郎が、すぐさま意識を失った彼に
『伸びた髪を元に戻す薬』を注射したため、大事には至らなかった。
明日には退院できるという。

「すまなかった…橘くん。仙波くんにも…悪いことをした…」
珍しく、素直に謝る恭一郎。
謝られて当然のことをされたわけだが、
そうあっさりと謝られるとは思っていなかった橘は、少々驚く。
いつもなら、少しの失敗にもまったく動じない恭一郎だが。
実験に失敗し、一時は継人を殺し兼ねなかったのが
よほどショックだったのか、肩を落とし、うなだれている。
(…考えてみれば、久我さんの実験で、継人が病院送りになるまで
被害に遭ったのって…これが初めてだっけ…)

「…気分はどうですか?」
意識を取り戻した継人が横たわるベッドに、
上総が付き添っている。
「…まあまあだな…」
元通りになったのを確かめるように、
自分の髪に何度も触る継人。
「さすがに、久我博士も落ち込んでいたようですよ」
「……ったく…これに懲りて、少しはあの馬鹿げた実験を
止めてくれるといいんだけどな……」

「そんなこと!久我博士の発明を止めるなんて…
あのお方の発明は……」

「だったらオレじゃなくてあんたを実験台にすりゃいいのによ」
久我に心酔している上総の話など聞きたくない、と
思った継人は、彼の言葉を遮る。
上総は黙っている。

「…ま、どっちにしろ明日には退院できるからな。
会社行ったらとりあえずヤツをぶん殴ってやる」

「(…それは困りますね)」
継人にも聞こえない声で、上総が呟く。
「…なんか言ったか?」
「…いえ……そうだ、仙波君。お茶入れましょうか」

上総からお茶を受け取った継人は、
ゆっくりとお茶を飲み込む。
「……明日で退院、ですか」
ポットから少しこぼれたお湯を拭きながら、
上総がポツリと言う。
「……ああ」
「…それでは…少し困るんですよね」
「は?」

継人が返事をしたとたん、継人の胃に刺すような痛みが広がる。
「…………ぐっ……!!!」
腹を抱えて、苦しむ継人。
「…貴方に、個人的な恨みは無いのですが…
申し訳有りませんね。少しの間、眠っていただきます」

「な……何……!?」
「一時的に胃を痛める薬を飲んでいただきました。
医師にはただの胃潰瘍にしか見えないでしょう。命には関わりはありません。
…本当は亡くなって頂くのがベストなんですけどね……ふっ」

もだえ苦しむ継人を、蔑む様な目で見ながら、
上総は不気味な笑みを浮かべる。
継人は必死になって、ナースコールを押す。

「…ああ、それと、ここ2,3日の記憶を消す薬も入ってます。
勿論、今の出来事も忘れていただきますよ。……それでは、お大事に」

二日後。

「仙波の退院が延びたって、本当か?」
昼休み、食堂にて食後の一服をする満が、たまたま居合わせた在素に問う。
「……ええ、なんでも胃潰瘍だとか。ストレスでも溜まってたのかしらね」
「そりゃあれだけ毎日酷い目にあってりゃな~」
「…でも…妙なのよね…」
在素が首を傾げる。
「何が妙なんだ?」
「継人さん、ここ数日の記憶が無いみたいなのよ。
さっき、橘さんに聞いた話だと…
『オレ、なんでこんな所にいるんだ?』とか言ってたって…
それに、胃潰瘍…あまりにも突然発症したような…」

「はっはっはっはっは!!!」
真剣に考え込む在素に、満は大笑いを返す。
「なっ、何よ!」
「そりゃ全部、久我ちゃんの薬の副作用じゃねぇか?
丁度いいじゃん!毛はえ薬のことも仙波に恨まれなくて済むぜ?」

そう言って、満はタバコの火を消してオフィスに向かう。

「まったく……これだからO型の男って嫌いよ」
呆れ顔で満の後ろ姿を見つつ、在素も研究室へと戻っていった。

「…おかしい」

午後9時。
誰もいない研究室で、恭一郎は
例の継人に飲ませた『毛はえ薬』を何度も分析していた。
娘の在素は、既に宿直室で眠っている。

「成分的に見ても、どう変化させても、胃潰瘍を併発するはずなどないのに…」
珍しく、恭一郎は真剣である。
それもそのはず、恭一郎の作った薬で
人を殺しかけたのは、実はあれが生まれて初めてだったのだ。
ドイツで橘と、自らが飲んだあの巨大化薬を使ったときも。
あの薬は、飲んだ者を巨大化させると同時に、
肉体の堅さを『綿』と同等の柔らかさにする効能もあったため、
そのため、少々の怪我人は出たものの、死者も重傷者も出さずに済んだ。

だが、今回の一件は。
科学者の中でも、天才と誉れ高い、
久我恭一郎の最大の失敗であった。
だが、恭一郎はその失敗をどうしても解せないでいた。

「…博士、まだいらしたのですか。もう遅いですよ」

研究所の入り口から、穏やかな口調で上総が声を掛けてきた。
「…ああ、桐島くん。帰ったんじゃあなかったのかい?」
「ええ、偶然会社の前を通りがかったのですが、研究所に
明かりがついていたもので」

「……そうか」
恭一郎は、上総のことを特に気にも留めずに、
熱心に薬液の入った試験管をくるくると回す。
「…それにしても、仙波君。しばらく出社は出来ないそうですね」
上総が、寂しげな声で言う。
「…………」
そのことを実はすごく気にしている恭一郎は、
一瞬だけ顔をしかめる。だが、
「そうだなぁ。実験台になる人がいなくて私も辛いさ…フフフ…」
いつものように、不気味な狂科学者の表情に戻る。
「………博士は、どうして僕で実験をしようとはしないのですか?」

「………!」

上総が入社して、3ヶ月。
上総は周りの人間が見ていて呆れるほど、恭一郎に心酔し、
恭一郎の行く先々へくっついて回っているほどの熱心な研究員だ。
だが、恭一郎は。
そこまで自分を慕ってくれている上総を、
自分の発明の実験台にしたことは、一度たりともなかった。
本当なら、いつも反発してばかりの継人を実験台にするよりは、
恭一郎のことをなんでも聞く上総を実験台にした方が
好都合なはずである。

「久我博士と、大学時代にお会いした時から、僕は久我博士の発明の
お役に立ちたいと、ずっとずっと思っているんです。なのに…」

試験管を手に不気味な笑みを浮かべていた恭一郎の顔から、
笑みが消えた。

「…私は、身分の明らかでない人間を、実験台にするつもりはないのでね」
「………?」
「残念だが、私のいた大学の、自分の在学していた学年の前後5年の
学生の名は、すべて頭に入っている」

「……何を、言いたいんですか?」
「…その中に、『桐島上総』という人間は存在しない」
「………!!」

「学歴を偽ってまで私に近づこうとする……
…………君は一体、『何者』なんだね?」

張りつめた空気の中、沈黙が続いた。
お互いが、微動だにしない。

しばらくして、上総が微笑んで口を開く。
「……いやあ、バレてしまいましたか。さすがは久我博士です」
観念したのか、それとも開き直ったのか。
上総は前髪を掻き上げながら言葉を続ける。
「あなたに憧れるあまりに、とっさにウソをついてしまったんです。
あなたの後輩であると言えば、あなたとも親しくなれると思い…」

そう言って、上総は照れ笑いをする。

「……まあ、今はそういうことにしておいてやろう」
「……………」
「まあせいぜい、『頑張って』くれたまえ」
まるで、何もかも見透かしているかのように、
社交辞令の如く挨拶をする、恭一郎。

「今日はもう帰りたまえ。明日も出勤だろう」
そう言い残し、恭一郎は研究所を後にした。

研究所に、一人取り残された上総は。

「ふ…ふふっ…ふは……はっ……ははははっ…」

不気味な笑い声を発する。

「………上等ですよ、久我恭一郎博士。
……あなたの言うとおり、頑張らせて頂きますよ…ええ。」

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