[小説]微笑の暗殺者(3)

小説/本文

”キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン… ”

「よーし終わったぁっ!」

待ってましたと言わんばかりに、
芹子が机の上を片づけて席を立つ。
この後、ちょっとした予定があるのだ。

「在素ーーっ!仕事終わったわよ!やりましょ!!」
ダッシュで研究室を訪ねる芹子。
仕事が終わったら、在素においしいケーキの作り方を
教えてもらうことになっていたのだ。
「あっ、神崎芹子サマ!」
研究所には、恭一郎と劣の二人だけしかいなかった。
「あれー?在素は?」
「桐島上総サマと買い出しに行ったママデス…
それにしても、帰りが遅いデスネ…」

劣が心配そうに言う。

”ピリリリリリリリリリッ…”

突然、恭一郎の携帯が鳴り出す。
来たるべき時が来たかのように、
ゆっくりと、携帯をとる恭一郎。
発信者の名は……上総である。

「…もしもし」
『…どうも、桐島です』
「…やはり、そういう手できたね?」
『おわかりなら話は早いです。
○○駅前の、喫茶店「some(サム)」で待っています。
………お嬢様と一緒にね………』

携帯を切り、恭一郎は何かを身支度した後、
唯一室内に残った部下の劣を呼ぼうとした。
だが……
芹子と劣は、床に倒れて気を失っていた。
恭一郎は二人の倒れている場所へ歩み寄る。
二人から、心地の良さそうな寝息が聞こえる。

「…ほほう、なかなか用意がいいな…」

昼間に上総が配っていたマドレーヌに、
時間が経ってから効く睡眠薬が施されていたようだ。
この分だと、他の社員も眠らされている可能性が高い。
「…さて、桐島くんの言い分でも聞きに行くかね……フフフ……」
特に慌てた様子もなく、恭一郎は会社を後にした。

午後7時。

「ずいぶん遅かったですね。
……でも良かった。絶対に来て下さると思いましたよ。久我博士…」

すでに店員達は姿を消していた。
店内には、左腕に在素を抱えた上総だけが、いた。
在素は気を失っている。
だが、一度眠らされた後に、すぐに目を覚まし、
激しく抵抗したのか、衣服が所々破けていた。
頬が少し赤くなっている。殴られたのだろう。
「あなたのご息女は、思ったよりも御転婆で驚きましたよ。ははは……」

在素の状態を見た瞬間、恭一郎の目から、
一瞬だけ余裕が消える。
「……目つきが変わりましたね」
「…用件は何なんだね?言ってみなさい」
表情は変わらないが、言葉は、
いつもより、ほんの少しだけ、荒い。

「……別に。ただ貴方の大事なものを消してしまいたいだけですよ」
不気味な、勝ち誇った笑みを浮かべる上総。
「一人は、貴方の一番のお気に入りの部下、仙波継人」
「……あの薬の分量と成分を狂わせたのは、君だったのだね」
「残念なことに、貴方の機転の早さに命拾いしてしまいましたがね。」
「何故、こんなことをする」
「何故?何故とは愚問ですね。
僕の大事なものを奪った貴方の質問とは思えませんね」

穏やかだった上総の瞳に、次第に憤りの炎が灯る。
「……6年前……僕の妻が、医師も匙を投げるほど
手の施しようがない、末期ガンで危篤状態だったのを、
当時大学院生だった貴方が診て下さいましたね。覚えていますか?」

「……ああ。君があの時の旦那さんだね」
その時のことは、今でもハッキリと覚えている。
「貴方が診てくださったお陰で、妻は一時的に意識を回復しました」
上総の、在素を抱く腕に、徐々に力が入る。
手が震えている。
「……その後妻は亡くなりました。でも僕は貴方に感謝していたんです。
……そう……あの信じられない事実を知るまでは……」

徐々に感情的になる上総を、ただ黙って見つめる、恭一郎。

「妻のガンがまだ初期症状だった頃に投与された薬のせいで、
たちまちガンが悪化したということを!!!
……その薬を作ったのが……久我恭一郎!!! 貴方だということを!!!!」

しばらく、店内には上総の荒い息だけが響いていた。

「……貴方が……貴方が奏子を殺したんだ!!!」
「違うな」
「嘘だ!!!」
「奥さんのガンは、ガンの中でも質が悪く、進行も早い
『癌性悪液質』というものだった。それに、彼女には、
彼女が危篤状態になるまでは、私は一切関与したことはない。
……誰に、そんなことを吹き込まれたんだね?」

「何処までとぼける気ですか!!!
…まあいいです…、貴方にも僕と同じ思いをさせてあげますから…!!」

「……ふざけるな」
小さいが、重く威圧感のある恭一郎の声に、上総が怯む。
「…私の大事なものを奪えば、君の奥さんは喜ぶとでも思っているのか?」
「奏子は望んでいるはずです!!!」
「人を殺して手を血に染めた君を見て、本当に喜ぶか?
…この復讐は、奥さんのためではない。
『奥さんのために自分が何かをしてあげる』と思うための
君の自己満足に過ぎない」

「う……うるさい!!!貴方に何がわかるって言うんですか!!!!」

恭一郎は、すかさずポケットの携帯のボタンを押す。
「無駄です!社員はみんな僕が眠らせましたからね!!!
2,3日は起きないはずですよ!!!ははははは!!!」

「誰が寝てるって?」
「!!??」

入院しているはずの継人である。
上総が「そんなバカな!!!」と思ったときにはもう遅かった。

ドガァッッ!!!

継人は、上総の在素を抱く腕とは反対側の首を回し蹴りする。
それでも在素を離さずに、よろけているスキに、
間髪入れずに今度はみぞおちに膝蹴りを一発。
上総はその場に崩れ落ちた。

「……ケッ、ナメたマネしやがって。」
「お見事、仙波くん」

数十分後。

事のすっかり済んだ喫茶店に、
芹子の弁当で腹を壊した浪路を除く社員全員が集まっていた。
恭一郎の携帯(恭一郎改造済み)の非常呼び出しボタンで
呼び出されたのである。
「な…何故だ……何故僕の薬が効いていない!?」
誰一人眠そうな者などいない社員達を見て、
上総は驚愕する。睡眠薬は2,3日は
効き続けるように仕込んだはずなのに。
それに、胃に穴の開いたはずの継人が、なぜこんなにも元気で、
しかも自分が手に掛けたという事を覚えているのか。
「まいったよな~家に着いたら急に眠くなんだもん。
10分くらいで目ぇ覚めたけどな」

のんきそうに満が言う。
「…じゅ、10分!?」
驚くべき回復力に、またしても上総が驚愕する。
「あっ、あたしもー!あれ、もう朝かなー?って思ったら
まだ15分くらいしかたってなくて!」

みはるも同意する。
「な…何故…」
「まぁその理由は後で説明しよう。 …それより、桐島くん。落ち着いたかね?」
何事もなかったかのように問われ、
上総は、怒りをどこにぶつければいいのかわからず、
震えて涙を流す。

「…くっ……くそおっ……何故だ……何故なんだ…!!!!」
「…とにかく、奥さんのことに関しては、
私は危篤の時の一度しか関与していない。
信じられないなら、大学病院のカルテや、
通・入院記録。病院内の聞き込み。
それでも駄目なら君の奥さんの遺骨からだって検死しよう」

―――その時。

「……ごめん……奏子……!!!」

上総は、隠し持っていたナイフで
左手首を思い切り斬りつけた。

一瞬の出来事だった。

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