そのころ、一人東京へ連れ去られた橘は。
沢井が忘れ物を取りに外出したのをいいことに、
沢井宅を抜け出し、一度自宅に戻って、
車で再び千葉の温泉へ向かっていた。
連れ去られた後、橘は何故かフィギュアのモデルにされ、
あれこれとポーズを取らされ続けていたのだ。
挙げ句の果てにはヌードモデルになれと言われ、
無理やり脱がされる始末。
「はぁぁ………」
交差点で、赤信号にひっかかる。
ハンドルを握りしめ、深いため息をつく。
「今頃みんなはどうしてるかな…」
”プップーーッ”
ふと、みんなのことを考えてボーっとしていると、
青信号に変わったことに気づかず、
後続車にクラクションを鳴らされる。
「あ……っと、マズイマズイ。」
橘は顔を上げ、アクセルを踏もうとする。
突然、直進しようとする橘の車を無視して、
前方から暴走車が勢い良く右折してきた。
「うわあっっ!!あぶないなあ………んっ?」
一瞬、暴走車の中に…見覚えのある女の子が乗っていたような気がした。
……いや、見覚えがある、どころではない。
あれは……!!
「みはるちゃん!?」
直感で、追わなければ!!と思った橘は
直進させようとしていた車を無理やり左折させ、
暴走車を追っていった。
しかし、橘のカンはみごとにはずれた。
みはるだと思った女の子は人違いであった。
橘は知らないが、当のみはる本人はハリーの入院する
病院にいるのである。
そうとも知らず、橘は暴走車を1時間追い続けた。
さすがに不審に思った暴走車の運転手。
最悪なことにその車は「ヤ」さんの車で、
橘はストーカーと間違えられボコボコにされてしまった。
「う゛……痛い……」
殴られた傷を手当しつつ、車内で休む橘。
「そういえば…無我夢中で追ってきたから気づかなかったけど、
ここ…どこなんだろう……」
人気のない、静かな漁村といった感じの土地。
橘は浜辺の入り口に車を停めているのだ。
「ん?あれは….」
さっきの暴走車に乗っていた女の子が倉庫にいる。
「なんでこんなとこにあの子が….?」
橘はそっと倉庫に近づいてみる。
すると、ハリーを撃った男が側にいる。
「誰だろう….あの人….」
2人はなにか、取引をしているようだ。
何を取引しているのだ?橘はまた近づく。
「あ、あれは…..麻薬…..?」
その時。
ドガッ!
「うぐっ……。」
橘は何者かにコンクリートのようなもので殴られた。
「……….?」
気が付いたら橘は倉庫の中の柱にさるぐつわを噛まされて縛られていた。
「あら、気が付いたの。」
よくみると、あの女の子だ。
「うぐ、ぐ」
「うふ。しゃべれないでしょ。あたしたちの話を聞いてた罰よ。」
「そう。お前達は、なぜここまで首を突っ込んでくるのだ?」
「うぐぐ」
「まぁ、聞いても無駄だったようだ。しばらくそこでじっとしてろ。」
ぎぃぃぃぃぃ。
橘は、暗い倉庫の中に1人、取り残された。
絶望。希望。自己嫌悪。社会への不満。さまざまな思い出。
橘の頭の中をいろいろな物が駆け巡った。
家族のこと、みはるのこと、そして・・・
なぜか心が落ち着いて来た。橘自身にも不思議なことだった。
目が慣れてきて、倉庫の中がぼんやりと見えてくる。
外よりはいくぶん暖かかった。
(・・・そういえば昔からこんな目にばかりあって来たっけ・・)
しかし今日までなんとか生きている。
(だから・・・きっと大丈夫さ・・そうだ!絶対に!!)
橘は、じわじわ湧いて来る他の嫌な考えをむりやり振払った。
「だぶがる!むっぐいにむいぎゅうぶ!」(助かる!絶対に大丈夫!)
思わず猿ぐつわのまま、口に出したその時!
「はたしてそうかな?」
「むぐむごおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
突如、背後で聞こえた声に橘の心臓は、飛び上がった。
「へっへ、そんなに驚かないでくれよ、別にどうもしないさ。」
縛っていたロープが切られた。
自由になり、自分でさるぐつわを外した橘が振り返ると、一人の男が立っていた。
「怖がらなくてもいい。俺はヤツらの仲間じゃない。」
「では、警察・・!?」
「違うよ。」
男は答えながら橘に付いてこいと手招きした。
二人は小さな扉から外に出た。
「助けて・・くれたんですよね?」
橘は恐る恐る男に聞いてみた。
男はグレーのジャケットに黒いハイネックのセーター、髪は短くがっちりした体形である。
二人は倉庫からやや離れた資材置き場に来ていた。
「まぁな、って言っても仕事だけどな。」
「仕事?」
橘はやや安心したが、それでもまだ不安そうに聞いた。
「あんた、もしあの時口がきけて、金を払えば助けてやるって俺が言ったら払うって答えたろ?」
男はニンマリ笑いながら言った。
「そ、そりゃあモチロンです!・・・・・・・・あ・・あの・・いくら払えば・・?」
「そーだな、今回はサービスだな。」
男はまたニッコリ笑った。良く見れば、人なつっこそうな笑顔であった。
「あ、あ、ありがとうございましたっ!命の恩人ですっ!!」
大袈裟に頭を下げる橘。
男は笑ってタバコを取り出した。
「ところでですが・・・あなたはいったい・・・?」
男が一服するのを待って、橘は聞いた。
一番聞きたかったことであった。
「最後屋。」
「・・・え?さ、最後?屋・・さん?」
男は資材に寄り掛かって煙りを吐き出した。
「そう、最後屋。客は最後に俺んとこに来るからな。」
「・・・・・」
男は歩き出した。橘は付いて行く。
「あっちで断わられ、そっちでサジをなげられ、困りに困って途方に暮れて、
最後の最後に辿り着く。それが最後屋さ。」
「・・・知りませんでした。そんな職業があるなんて。」
「そりゃそうさ、普通は知らねぇわな。」
いつの間にか橘の車の前まで来ていた。
「あんた、今度のこと、警察には黙っててくれねぇか?」
「あ・・・は、はい。」
命の恩人であった。そしてそれ以上に橘は男に好感を抱いていた。
(この人は信用できる)
「恩にきるよ。」
最後屋が右手を差し出す。橘はしっかりと握った。
「女の子がいただろ?」
橘を閉じ込めた女の子のことである。
「連れ戻す。親御さんの所にな。」
最後屋は笑った、今度は少し寂しそうに。
「・・・仕事・・ですか。」
「まぁ、な。」
橘もそれ以上は聞かなかった。
「あ、僕、大島 橘といいます。」
橘は名刺を取り出した。
「いい名だな。俺は、琴蕗(ことぶき)夾一郎。」
最後屋琴蕗は歩み去りながら軽く片手を上げる。
「ケリが付いたら連絡するよ。」
しかし次に二人が再会するのは、事件の真っただ中なのだが、この時は知る由も無かった。