[小説]千葉湯けむり殺人事件(9)

小説/本文

ヒュンッ・・・

ボウガンの矢が、男の頬をかすめる。
「物騒なモンはしまいなよ。にあわねぇぜ。お嬢ちゃん。」
男。黒いタートルネックにグレーのジャケット。
最後屋こと、琴蕗夾一郎であった。

「お嬢ちゃんと呼ぶのはやめなさい!!」
ボウガンを構えるのは、橘を監禁した一味にいた娘である。
バヒュンッ!!
再びボウガンが矢を発射した。連発可能な特殊な物らしい。
その矢を琴蕗が身体を僅かに動かして避ける。
さっきからそれを繰り返しているのだ。
ここは橘が閉じ込められていた倉庫に隣接している、事務所兼作業所の中だった。
他にいた男達は、逃げた橘を捜しに出払っていた。琴蕗はこのタイミングを計っていたのだ。

「へへっ・・」
琴蕗が笑う。
「何がおかしいのよっ!!」
「あんた、小さい頃からお転婆だったってな。」
「・・・お父さんから聞いたのねっ!」
琴蕗の目的は依頼の遂行。
目の前にいる娘を父親のもとに連れ戻すことであった。
しかし何故このような少女が犯罪組織のような所で幹部なみの仕事をしているのか?
「親父さん、家を売り払ったんだぜ。」
「・・・・・・」
「お袋さん、身体をこわしちまったらしい。」
「な、なによ!情にうったえようって言うの!?」
娘が再び狙いをつける。
「ウソだって言うのかい?」
「そうは言ってないわ!」
ボウガンを握る手が震える。
「小さい頃からお転婆、しかし神の子とも天才少女とも言われていたってな。」
「・・・・・・・」
「そんなお前さんの才能を、一番高く買っていたのがこんな組織だったとはな。」
琴蕗の言葉に重みが加わったようであった。
「・・・・・」
「お天道さんの下にも出れず、影でこんなことをやらされてなぁ・・・」
「・・・・・・・」
娘はしだいに伏せ目がちになって行く。

「お前さん、何歳(いくつ)になったんだい?」
琴蕗が聞いた。
「じゅ、16よ・・・・・は!?」
反射的に顔を上げて娘が答えたその瞬間、琴蕗の目が異様な光を帯びた。
その目を見てしまった彼女は、射竦められたように動けなくなった。

そして・・・
「お前さん・・・『本当は何を憎んでいる』んだ?」
ゆっくりと琴蕗が言った。
「・・・・・」
「『本当は何がしたい』んだ?」
「・・や、やめて・・・」
「『本当は、誰の声を聞いた』んだ?」
一歩一歩、琴蕗は娘に近付く。
「・・・・・」
ガシャ・・
ボウガンが落ちた。
「あ、あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
娘はガタガタと震え、頭を掻きむしり膝から崩れた。
それを琴蕗が抱きとめる。
「あぁぁぁぁ、何!?何なの!?誰なの!?・・・・・この声は!?」
娘は涙を流していた。
「我慢しなくていい!見えるものを見ろ!聞こえるものを聞け!!」
「あ・・・あぁぁぁ・・お父さん・・・」
娘の目から止めども無く涙が溢れた。
「・・・・・・・・お母・・・・・・さん・・・わたしは・・・」
「それが、本当のおまえだ。」
あとは娘の嗚咽だけが、部屋に響いていた。

「よし、まずは帰ろう。後始末はそれからだ。」
琴蕗が娘を立ち上がらせた時。
「いや~、相変わらずお見事ですねぇ~。」
間延びしたような声がした。
「急速催眠解除術・・・ですか。私にはとてもマネできませんねぇ。」
琴蕗は声のほうを振り向いた。
「この技ばかりはおめぇにも覚えられねぇか。島崎よ。」
「一年ぶりですね、琴蕗さん。」
シャンゼリゼ島崎であった。

「俺はさっさと引き上げるつもりだ。」
「私にはやることがまだありまして・・・それにはもうすこし情報が・・・」
旧知のはずの二人の間に緊張が生まれた。
「この娘は渡せねぇぜ・・・」
琴蕗が身構える。
島崎の顔にもいつもと違う、もう一つの表情が浮かんだように見えた。
しかしそれも一瞬のことで、再び間延びした声で緊張が崩れた。
「はっは、そう言うと思いましたよ。仕方がありません。」
琴蕗も警戒を解く。
「安心しろ、俺が持っている情報なら売ってやるよ。」
笑みを浮かべて言った。
「それで充分ですよ。それに・・・」
「それに?」
「“協力”していただけそうな人達がいますんで。」
「なんだい、そいつは・・!!」

琴蕗がそこまで言った時だった。
事務所のドアが開いて、男達の影を生み出した。
「そいつは俺達も聞きたいことだ。おぉっと、動くなよ。」
男の手には拳銃が握られ、一人の女のこめかみにその銃口が押し付けられていた。
「知らねぇ顔でもあるまいよ。“探偵”さん。」
島崎の顔が少し困ったように変わった。
人質の女は、みはるであった。

「島崎さんっ!?」
みはるも島崎に気付いたようだ。
「ふ~む、こまりましたね~。そーゆーことをなさっては・・・」
島崎は天井を見上げて考え事でもしている様子である。
「なんでぇ、知り合いかい?」
琴蕗もとくに緊迫した様子は無い。
「ちっとも困っているようには見えないんだがな。」
拳銃を持っている男の背後にいる、身長2メートルの男が言った。
「少し聞きたいことがあるんだが、答えてもらえるかな?」
2メートルの男はゆっくりと島崎に近寄って来る。
「どんなことですか?“陣内さん”」
「!!・・貴様・・!」
いきなり名前を呼ばれて「陣内」こと2メートルの男はやや怯んだ様子だ。
なぜこの探偵(?)は俺の名前を知ってるんだ!?
「貴様っ!どこまで調べたんだ!」
陣内が島崎に迫る。
「は~い、これです。」
いつの間にか島崎の手には一冊の手帳があり、陣内の目の前で振られている。
「なんだっ!それは!?」
「全てはこの中に記録されています。」
「ずいぶん素直じゃないか、それをよこしな、あっ!!」
「ぽ~いっ!」
島崎が放り投げた手帳は、陣内のやや背後、拳銃の男の目の前に落ちた。
「ぬっ!、むっ!?」
陣内の目が一瞬手帳のほうに動きかけたが、
すぐに島崎のほうに注意を戻したのはさすがと言えよう。
しかし、その一瞬の間の出来ごとだったのだろうか?
琴蕗と娘はその場から消え失せていたのだった。
「貴様ぁっ!」
「おやおや、琴蕗さんも薄情ですね、私をおいて逃げちゃうなんて。はっはっは。」
場違いな笑い声である。やはり緊張感は感じられない。
「貴様が逃がしたんだろうっ!!」
その時、吠える陣内の背中に何かが当たった。
横に飛び退いた陣内の目に入ったのは、倒れた拳銃の男とみはるであった。
床に落ちている手帳から白い霧のようなものが漂い出ている。
「ガス!?」
見るといつ付けたのか、島崎はガスマスクを装着していた。
「私の従兄弟にこういう物に詳しい人かいましてね、お歳暮によくいただくんですよ・・」
島崎がそんなことを言った。
その時・・・!!!

「みはるぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!」
ズドゴオォォォォォォォォンっ!!!
事務所の壁を打ち破り、眞妃が突入した。
陣内が拳銃を引き抜くのはそれと殆ど同時だった。
ズキュンズキュン!ズキューン!!
3発の銃弾が島崎の胸に吸い込まれた。
陣内にもたれるように倒れる島崎。
陣内は眞妃の派手な突入よりも、島崎が変な動きで飛び掛かって来たことに驚いたのだ。
しかし、陣内のその判断は正しかったろうか?
それは眞妃の膝蹴りをまともに受けて、壁に叩き付けられた陣内が決めることだろう。

「ちょっと!みはるっ!大丈夫っ!?」
眞妃が倒れているみはるに駆け寄る。
「う・・うぅん・・」
みはるは目を覚まさない。
芹子がみはるの額にそっと手を当てる。
「どうやら眠らされているだけみたいね。大丈夫よ。」
やはり眠っている拳銃男は悟史がロープで縛り上げた。
「これでハリーちゃんを撃ったんだな、この野郎っ!」
悟史は拳銃をハンカチで包み持ち、台尻で男の頭を小突いた。
男を見ていると怒りが込み上げて来るので、悟史は目を逸らした。
一方、満は倒れている島崎に近寄り、ガスマスクを外した。
「おいっ!!この人、あの探偵さんだぞっ!!」
満の声が一同を振り向かせた。
「大変・・・銃で撃たれたのよ!救急車っ!!」
眞妃が携帯を取り出そうとした時、
満の投げたガスマスクが宙を飛んだ。
いつの間にか気がついていた陣内の手にしたナイフを弾き飛ばしたのだ。
あわててナイフを拾おうとする陣内を眞妃のキックが襲う。
陣内はそのまま転がりながら、ドアから外に飛び出した。
後を追おうとする眞妃。
「ストップ!眞妃さん!」
鋭い声に眞妃の動きが止まった。
むっくりと島崎が上体を起していた。
手には陣内の持っていたた拳銃が握られている。
撃たれた時にスリ取ったのだ。

島崎が敵の注意を逸らして琴蕗と娘を逃がしたのは、
眞妃の突入にタイミングを合わせてのことだったろうか?
だとしたらそれを可能にしたのは秘密結社社員の行動パターンを観察し、
記憶していた島崎の頭脳であろう。
彼は現場での敵の配置や時間経過を計算して、
眞妃やみはるを琴蕗の脱出に利用したのかもしれない。
しかし撃たれながらも拳銃を奪い取ったのは、
眞妃達をその後の危険から一応、守るためであった。
むろん防弾チョッキは身に付けていたが。
「おい、大丈夫なのか?」
満が心配するが島崎はかまわず続ける。
「今回の事件に関わっている組織のメンバーは彼で最後です。
仲間はもう来ないでしょう。でも彼もこれを失敗したら組織内で後が無くなるから必死です。
これ以上は危険なので行ってはいけません。」
初めて聞く島崎の真剣な声に眞妃は圧されていた。
「で、でもあんなヤツ・・」
その眞妃に再び間延びした声に戻った島崎が言った。
「い~えいえ、あなどってはいけません。
彼、陣内さんが本性を現したらガスも銃も効きませんし、
あなたの攻撃でも・・・・・・・・・・まぁ、あなたなら倒せるかもしれませんけど(笑)」
「本性って・・何なのよ!?」
「なぁに、御心配無く。外には琴蕗さんが戻って来てますから。」
「それ・・・誰?」
思わず満が聞いた。

「はぁはぁ・・・くっそ、あいつら、はぁ、はぁ・・」
海辺の駐車場である。以前、橘が車を止めた場所だ。
陣内は倉庫から脱出した後、この寒風吹きすさぶ場所まで逃げて来たのだ。
陣内達の車もここに止めてあった。
「はぁはぁ・・作戦に失敗したら・・・迅速に現場を離れること・・だ」
ドアのキーを回す。
開かない。
「ちっ・・」
何度も回す。しかし、開かない。
ドズッ!!!
ドアが変型した。
陣内のパンチが炸裂して、ドアが開いたのだ。
プッシューーーーーッ・・・
しかし今度は全てのタイヤの空気が抜けて行く音。ここまできてついに陣内も観念した。
「・・・よーし・・・いいだろう。ここで決着か?」
そう言って振り返った陣内に向って歩いて来るのは、最後屋・琴蕗であった。

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