ハリーと眞妃の入籍の経緯はこうだった。
遡ること、数日前…
二人が再会し、お互いの気持ちを確かめ合ったあの日。
ハリーのマンションでそのまま一夜を明かした眞妃は、
彼からある提案を告げられた。
「…眞妃ちゃん、ものは相談なんだけど。」
「『ちゃん』はいらないって言ったでしょ」
「ああ、ゴメンゴメン、長いことこう呼んでたから、ついクセで」
「…相談って、何?」
「結婚しよ」
「……え?」
突然の重大な提案に、眞妃はハリーの腕の中で目を丸くする。
「…それって…私も一緒にイギリスに行く、ってこと?」
「ううん、そうじゃなくて。ボクのワガママで眞妃ちゃ……
…眞妃に会社を辞めさせて、眞妃の家族ともお別れさせるなんてできないよ。」
「じゃあ…どういうこと?あなたが日本に残るの?」
「それもちょっとできない。お母さんを一人置いてはおけないし。でもね…」
「でも?」
「おとといまでイギリスにいたとき、弟がね…
あ、弟は今アメリカの大学に行ってるんだけど、
大学を卒業したら、家を継いでもいいって言い出して。」
「そうなの…」
「でも、弟の大学はあと2年あるし、卒業しても、社会を全然知らない
弟を、ボクがサポートしなきゃいけない。だから、弟一人であの農園を
やっていくには、まだ数年かかるけど…」
「弟さんが一人立ち出来るまで待って、それから結婚ってこと?」
「違うよ、今すぐ。」
「…どういうこと?」
眞妃にはハリーが何を言いたいのかよく分からない。
不思議そうな顔をする眞妃を、ハリーはぎゅっと抱きしめる。
「ボクと眞妃が結婚して、ボクが眞妃の苗字を名乗れば、
ボクはイギリス人から日本人になる。日本人なんだから、
ボクの帰るべき場所はイギリスじゃなくて、日本になる。
…これ以上、眞妃に寂しい思いはさせたくないんだ。」
眞妃は、ハリーの自分に対する優しさに、思わず涙が出た。
自分はこんなにも大切にされている。
あれだけ涙を流した後なのに、枯れることのない涙は、眞妃の頬を伝うばかりだ。
「…でも…それじゃ…私のためにあなたが故郷を捨てることになるじゃない…
病気のお母様や、弟さんはどうするのよ…?」
「心配しないで。別に国籍が違ったって、
お母さんはボクのお母さんに間違いないし、弟だって同じだよ。
…ただ、眞妃とは結婚しても、数年は一緒に暮らせないけど…
でも、他人同士でいるよりは、不安も消えるでしょ?」
「……明……」
「…もっとも…眞妃がボクと結婚したくないって言うなら、話は別だけど…ね。
……や、やっぱり急すぎるよね、こんな話……昨日の今日なのに」
そう言うと、ハリーは申し訳なさそうに頭を掻く。
眞妃は、そんなハリーの頬を、両手でそっと触れる。
「嫌なわけ、無いでしょ。
……私みたいな性格キツくて暴力振るう女、他に誰が貰ってくれるのよ?」
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「…で、その日のうちに区役所で手続きして…」
いつの間にやら、ひそひそ話だった眞妃の話は何故か食堂に場を移され、
眞妃は大勢のギャラリーがいる前で無理矢理語らされていた。
「ヒューヒュー!結婚記念日はダンナの誕生日か!やるなぁ、お前らも!」
満がヤジを飛ばす。
「…別に…たまたま29日だっただけよ…」
「式はいつデスカー?オ・ク・サ・マ♪」
クリスとみはるが人差し指でツンツンしながら尋ねる。
「それは…向こうのお母様のこともあるし…まだ決まってない…けど…」
眞妃の言葉は次第にヤジにかき消されて行く。
眞妃をからかえるなんて、こんなチャンスはめったにないと、
普段出しゃばらない社員達すらも、ヤジを飛ばし始めていた。
そんな彼女の堪忍袋の緒が、ついに切れた。
「うっるさぁぁ―――い!!
誰が誰と結婚しようと関係ないでしょ!!
だいたい今は仕事中なのよ!?
とっとと仕事場につけぇ――――っっ!!!!!」
久々に社内に轟く、経理部の鬼主任のカミナリが、
N.H.K内特有のダラけた空気を一瞬にして張りつめさせる。
散り散りに自分の持ち場へ去って行く社員達。
「…全く…人のプライベートを何だと思って…」
愚痴りながらも、まあ仕方ないか。と言わんばかりに溜息を吐く。
誰もいなくなった食堂を、ふと見渡してみる。
この会社内にも、この国にも、ハリーはもういない。
なのに、ついこの間まで彼が側にいたときよりも、
ずっと彼を近くに感じるのは何故だろう?
眞妃は、左手の薬指にはめられた真新しい結婚指輪を、
キュッとはめ直すと、気合いを入れるかのように両手で拳を握る。
「…頑張らなくちゃ、ね。」
END