日曜日。
普段、一人暮らしをしている桐島上総は、
千葉県にある実家に、久々に帰ることになった。
いつもの休日なら、自らが尊敬している、
開発研究室長・久我恭一郎と共に研究に没頭したり、
自宅でお菓子作りなどをして過ごしているため
両親に会うのは、実に久しぶりのことであった。
だが、今回の帰省は自分の意志ではなかった。
昨夜、突然電話で父から帰るように命じられたのだ。
(それにしても…一体何なんだろう…
『なるべく正装してくるように』なんて言っていたし…)
そんな訳で、実家に帰るのにもかかわらず、今日の上総はスーツ姿である。
”お待たせ致しました ○×駅に到着です お降りの際にお忘れ物等…”
久しぶりに見る風景。懐かしい空気に上総は深呼吸をする。
「上総」
改札口の向こうに、上総によく似た細身の男性。
「あ、父さん。久しぶりだね」
二人はしばし再会の語らいをすると、上総の父の車で駅を発った。
車を走らせること、数十分。
「ところで…父さん…今日は一体何故僕を?」
いろいろと会話を交わした後、上総は最も気になっていたことを問う。
父は何も言わない。
「……あれ?こっちは…家の方向じゃないんじゃ…」
車が自宅の方面とは違う方向に進んでいることに気付く。
上総はとっさに、嫌な予感がした。
「…奏子さんが亡くなってから、もう7年になるんだな」
『奏子さん』とは、上総が22歳の時に病気で亡くした妻である。
「…そ…それが何か…?」
「お前も来年30だろう。そろそろ再婚を考えてもいいんじゃないか?」
「えっ」
上総が驚いた表情をすると同時に、車はある場所で停まった。
着いた場所は、この地域では有数の高級ホテル。
「…と、父さん…まさか……」
上総の嫌な予感は、九分九厘当たっているだろう。
「約束の時間までまだ少しある。これに目を通しておけ」
そう言って父が手渡したのは、一枚の見合い写真と経歴の書かれた書類。
「お見合い!? 何で…そんな、いきなり!」
「前もって言ったら、お前は絶対断ると思ってな」
淡々と言う父に、上総が必死になって叫ぶ。
「そんな、前もって言われても今言われても、僕は再婚する気なんて無いっ!!」
父は息子の直訴をほぼ無視して、言葉を続ける。
「…それと…その相手の女性は、私の会社の取引先の重役の妹さんなんだ。
なるべくなら……上手くいくことを願っているよ。
相手のお嬢さんは国立大学の出で聡明な方だ。その写真を見ても
なかなか綺麗な方じゃないか。悪い話ではないだろう?」
「そ…そんな…それじゃ断るなって言ってるようなものじゃないか…」
「断る理由なんて無いだろう。いつまでも過去に縛られてばかりじゃ駄目だぞ?
…それとも、他に心に決めた女性でも出来たのか?」
「…そ、それは…」
心に決めた女性。
父にそう言われ、上総が真っ先に思い浮かべたのは蔵石沙織のことであった。
亡くした妻・奏子にうり二つの女性、沙織。
確かに彼女には惹かれてはいるが……別に彼女と交際しているわけでもない。
それにもしかしたら…奏子の幻影を追っているだけなのかもしれない。
上総には沙織を「心に決めた女」と、はっきり言える自信がまだ無かった。
「決まりだな。それじゃ、約束の場所へ案内しよう」
父は、悶々とする上総を半ば無理矢理引っ張り、ホテルの中に引きずり込んでいった。
草薙 茉莉亜(くさなぎ まりあ) 27歳
国立K大学 医学部卒 …etc
観念した上総は、相手が来るまで、フロア内にあるソファーに腰掛け、
相手の写真と経歴書を交互に見つめていた。
(医大生…か……まあ…写真を見る限りじゃ確かに綺麗なひとだけど……
それにしても…白人の血でも引いているのだろうか…綺麗な金髪だなあ…)
「あの…桐島さまでいらっしゃいますよね?」
頭上から、甘いソプラノの声。
ふと見上げると、そこには写真のままの女性が立っていた。
「あ…はい、桐島です。じゃあもしかして…貴女は…」
「はい!草薙 茉莉亜と申します。予定の時間より少し早く着いてしまって…
桐島さま…お写真通りの素敵な方だったから、すぐに分かりました」
顔を合わせるなり、良い雰囲気になっているのを目の当たりにした上総の父は、
ご機嫌そうににっこりと微笑むと、
「これはこれは草薙さん。お互い早めに足を運ぶなど、
気が合うんですかね~、はっはっは。それでは、テーブルへとご案内いたしましょう」
二人は、上総の父の案内によって、窓際にある一つのテーブルへと腰を据えた。
「あの…そちらは、お付き添いの方は?」
父がおずおずと尋ねる。
確かに、先方は茉莉亜一人で、付き添いの姿が見えない。
「いえ、私一人です。あ、気にしないで下さいね、
私が自分から一人でお会いすると決めただけですので」
そうはっきりと彼女は言った。
そういえば、お見合いだというのに、彼女からは緊張のカケラも感じられない。
確かに、お互いのサポート役にもなる『付き添い』は必要ないのかもしれない。
(変わった人だなぁ…)
「ウー…オッホン。それでは、まずお互いの紹介をいたしましょうか…」
「いえ、大丈夫です。経歴書も見させていただきましたし…
桐島さま、申し訳ありませんが…二人でお話させていただけませんでしょうか?」
「!?」
茉莉亜の突然の要望に、上総は焦る。
会っていきなり二人きりにされるとは。
上総の父は、ますますご機嫌になったのか、即座に席を外した。
何を話していいのか分からず、上総は黙ったままである。
(こ…こういう時は男がリードしなきゃいけないんだろうけど…何を話せば…)
「嫌そうですね。私とお話しするの」
茉莉亜は、先ほどからの甘いソプラノボイスとは違って、少し低めの声でポツリと言う。
もしかして傷つけた?そう思った上総はとっさに大声を出す。
「そんなこと無いです!!し、失礼いたしました!!」
慌ててフォローする上総を見て、茉莉亜はクスクスと笑いながら、上総を見つめる。
「私のこと、嫌いですか?」
「そ…そんな…こと…ありませんけど……けど……」
断る言葉が見つからない。
「……どっちにしろ、あなたから断ることは出来ませんよね…フフ…」
愛想の良い笑顔が、次第に不敵な笑みへと変わって行く。
「…草薙…さん?」
「私の兄……『某ライバル会社』の重役なんですよ」
某ライバル会社。
初対面の女性から、突然敵会社の名を聞き、上総は驚愕する。
某ライバル会社の草薙と言えば…!!
「そう…草薙京介は私の義兄です」
自らの身に何が起こるのか…いや、もう起こっている。
慌てている場合ではない。
上総は気を取り直して、力強い声でゆっくりと口を開く。
「それで、『某ライバル会社』の人間が、何故僕とお見合いなんかを?」
「フフ、まあお見合いは形だけですわ。あなたと二人きりでお話する機会が欲しかっただけです。
ちょっと、あなたにお願いしたいことがありましてね」
「お断りします。僕にまた…久我博士…、
いや、『ねぎ秘密結社』を裏切れと言うのですか?冗談じゃないですよ。
それに、以前『妻を殺したのは久我恭一郎』なんて嘘の情報を教えてくれた
恨みは忘れた訳ではありませんよ、僕は…」
「確かに…あなたを騙したのは我々ですわ。…けれども、情報を『流しただけ』。
その嘘の情報を聞いたあなたはその後…何をしましたか?」
「…………!!!」
かつて、久我恭一郎が妻を殺したという事を信じ込んでいた。
その恨みから、彼の娘である久我在素を誘拐し、殺害しようとした。
騙されたのも事実だが、在素を誘拐し、暴行したのは
紛れも無く自分自身の意志である。
「被害者の保護者である久我恭一郎が告訴していないから公にはならなかったものの…
あの事件は…ご両親はご存じなのかしら?あの事件以降に入社した社員さん達は?
知られたら、結構困るんじゃないかしら…?」
両親は、事件のことは知らない。
もし、これで事件が公になったら。
上総は法律により、罪を償えば良いだけだが。
両親は『犯罪者の親』のレッテルを貼られ、世間から好奇の目で見られるだろう。
そしてあの事件から、新しい社員はたくさん入った。
あの当時いた社員達は、罪を犯した上総を快く受け入れてくれたが…
今まで事件のことを知らなかった社員たちは。
知ることによって、もしかしたら嫌悪感を抱く者もいるかもしれない。
「……卑怯者……!!!」
上総は下唇を咬み、そう悔しそうに言うのが精一杯だった。