[小説]君に逢えて良かった(1)

小説/本文

あの頃の僕は、とにかく勉強しかやる事が無かった。

「期末試験の順位貼り出されたぞー」
「1位はまたA組の桐島かよ。全教科満点って何者だあいつ」
「東大進学も決まってるらしいな。この学校から東大生出たの初めてだとか」
「なんだってそんな奴がウチみたいな中の上レベルの高校に居るんかね」
「まあしかし、勉強が出来るってだけで…すごい暗そうだし何か気味悪いけどなあいつ」
「なんか近寄り難いっつーかなー」

僕にはこれと言った友人が居なかった。
無表情、無口、無気力。180cmを超える身長、ガリガリに痩せ細った身体。
肩まで届く、長くてボサボサの髪に黒縁眼鏡。
そして高校自体のレベルに明らかにそぐわない学力が人を寄せ付けないでいた。
もっとも、自ら友人を作ろうとも思っていなかった。
進路を東大に決めたのも、とりあえず親が喜び、世間様にも恥ずかしくない良い大学に行っておこうと思い
適当に決めただけであって、特にやりたい事も無かった。
大学が一流でも、自分に輝かしい未来が待っているとは微塵も思えなかったのである。
恐らく、この時の自分に今すぐに死が訪れても、何の後悔も無かったであろう。

将来に不安も希望も何も抱かないまま進学した大学で、彼女に出会うと知らないままであればの話だが。

「すいませーん!!ちょっとシャッター押してもらえまっすかー?」

一人でとぼとぼとキャンパスを歩いていると、
突然、耳を貫くような元気な声で呼ばれ、思わず肩をびくつかせる。
「え、あ、はい。いいですよ」
「ああゴメン驚かせちゃったかな?あたし声でかいからさー!アハハ」
「いえ……ええと、ここを押せばいいですかね」
「そそ。んでここの芝生にこうセクシーに座るあたしを撮って欲しいの!ふふっ」
そう言って、彼女は芝生の上で色んなポーズを取る。
「うーん、立った方がいいのかなぁ。座った方が可愛く撮れるかなぁ?どう思う?」
「……あ、あの……」
「ん?ああゴメンね待たせちゃって!」
「いえ、そうではなく……」
「んん?」
「フィルム入ってませんよ、このカメラ……」
「何ィ――――――!!??あたしとしたことが!!!」
おずおずと申し出た自分の声の100倍くらい大きな声で驚く彼女。
その声の大きさに、周りには次第に人が集まり始めていた。
「あ、やべ。もしかしてあたし騒ぎすぎ?ずらかれー!!」
僕は、突如彼女に手を引かれ連れ去られてしまった。

「わ、たっ、ちょ、ちょっと待って…下さい……」
彼女の足が速すぎて付いていけず、前のめりに転びそうになった僕は流石に彼女を呼び止めた。
「ありゃ、ごめんごめん!だいじょぶ?
うーん、あの芝生の前気に入ってるけど仕方ないから別の場所で撮るかぁー。
あ、その前にフィルム買わなきゃ!ゴメンもうちょっと付き合ってもらえる?」

懲りていない様子の彼女。どうしても写真が撮りたいようだ。
「ま、まぁ……暇ですし別にいいですけど……」
いきなり声を掛けてきた知らない人間に、ここまで強引なお願いをされると、
普通なら面倒くさがって断るのだが……
自分に対し一切の物怖じをされずに、初めて女性に話しかけられた僕は、
それが新鮮でたまらず、心の奥でもう少し一緒に居てもいいかなと思っていた。
次はどこで撮ろうかと考え込んでいる彼女の隣で、
僕は黒縁眼鏡を外し、長い前髪を掻き上げて、走ったせいで額に流れ出た汗を拭き取っていた。
「………!!」
それを見た彼女が、何やら驚いた様子で僕を見る。
「な、何ですか?」
慌てて眼鏡を掛け直そうとすると…
「ストップ!ストップ!!待って!!」
「ええ?……うわっ」
眼鏡を持った手を押さえられ、にじり寄られて前髪を右手で荒っぽく掻き上げられた。
「すげーもったいない!!!!!」
「……はい?」
「あんたすっごいいい素材になる!絶対!!
よっし、今からこのナルミさんがあんたを改造するっっ!!」

彼女の妙な思いつきで、撮影会は突然中止になった。
その代わりに…望んでもいないのに美容院で髪を切らされ、その後に服を買わされ、眼鏡まで新調させられた。
とにかくあちらこちらへと引っ張り回された。ちなみに代金は全て僕持ちである。
今週分の生活費があっという間に無くなってしまった。
何故こんな事に………。

気が付くと夕方になっていた。
午後からの講義は当然のようにサボらされてしまった。
お金も体力も使い果たしぐったりしながら、最後に立ち寄った店の前で呆然と立ちつくす。
あまりの強引さに反論する間も与えられず、今となっては反論する気力もなくなっていた。
「キャー!やったー!!ナルミさん天才!!」
「…………」
「そんなむっつりした顔しないでー、見てみなよ自分の格好!」
ニヤニヤしつつ、店のショーウィンドウに映る僕を指さす彼女。
そういえばものすごい勢いで振り回されて、自分がどう変わっているのかなんて見ていなかった。

………………。
だ、誰?

額が見えるほど短く切られた髪、ノンフレームの眼鏡。
自分ではまず選ばないであろう、今の自分には例える言葉が見つからないお洒落な衣服。
魔法でも掛けられたかと思う程の変貌ぶりに、思わず何度も瞬きしてしまう。
「ふっふーん。いいオトコになったでしょ?」
「は、はい…」
「あっははー!ハイ、ってあんた自分がいい男って自覚してんのかい!いい性格してんね!」
「え、いや。そ、そんな…」
背中を丸めてうろたえる僕の背中を、彼女が勢いよく叩く。
「ホラ!背中しゃきっと伸ばして!
あんたホント勿体ないよ。そんないい男になれる素質持ってるのにさ。今まで何してたの?」

「なに、って……」
自分の外見について意見する人間はおろか、声を掛けてくれる人間すらも居なかった自分。
あっけらかんと問いかけてくる彼女に、何も言い返せずもじもじする事しか出来なかった。

散々と振り回され、浪費させられたのに、不思議と彼女に嫌悪感は全く抱かなかった。
むしろもっと一緒に居たいとすら思えた。

「あの……ナルミ、さん……今日はありがとうございました」
傍から見れば、お礼を言うようなことをされた訳ではないのだろうが…。
「んー、いやあ。なんつーかあたしもめちゃめちゃ振り回してゴメン。
って今更言うのもアレかー!あっははは」

そろそろお別れの雰囲気、というような空気が流れ始めたのに気づいた僕は
何とかして言葉を続けようと、普段話さない口を動かそうと考えを張り巡らせる。
「あ、そうそう。あたしさー、写真撮るの大好きでね。よく雑誌のコンクールとかに出してるんだ。
よかったら今度モデルになってくれないかな?まーそれ狙いで今日イメチェンさせたんだけどね!」

「え、あ。はい、勿論です」
容姿に自信なんて全く無かった自分がモデルなんて、以前の僕なら以ての外であろう。
しかし今は、容姿の善し悪し云々よりも、何とかして次に彼女に会えるチャンスを作ろうと、
いつの間にか必死になっている自分が居た。
「よし、やる気あるじゃん!よろしく頼むよ!
あ、そーいやこれだけ引っ張り回しておいて名前訊いてなかったな!名前は?」

「あ、桐島上総と言います。法学部の1年です」
名前を聞いて、にっこりと微笑み頷く彼女。
「あたしは鳴海奏子。ナルミは苗字なんだよ~。ふふっ!
文学部の1年だよっ。気軽に奏子って呼んでいいからね!」

無気力な毎日を過ごす僕に魔法を掛けてくれた、声が大きく元気な彼女……鳴海奏子は。
それから至極当然のように僕の心の中に住み着いてしまった。

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