[小説]これがおれの人生だ!!(1)

小説/本文

「おっつかれさまーっす!」

仕事を終え、定時に元気良く退社するのは、広報部の古屋 司。
「お、お疲れ様です。」
「ん?なんだぁ~?かんこりん。仕事終わりそうにないのか?」
すっかりと自分のノルマを終わらせた司とは対照的に、書類の山に囲まれている
同僚の三輪歓子は、到底定時に帰れそうにない。
「ううう……とてもじゃないけど終わりそうにないです……古屋さん、手伝ってくださいよぉ」
「うーん、手伝ってやりたいのは山々なんだけどな!
これから、来月のマラソン大会のトレーニング行かなきゃいけないし、人も待たせちまってるしなぁ」

「そ、そうですよね。うう…なんとか頑張ります…お疲れさまでした…」
「おう、お疲れ!」

あっという間に広報部オフィスからいなくなった、司。
彼がいなくなると、オフィスは一瞬にして閑散とした静けさに包まれる。
「……元気、ですよね……古屋さん」
「ん?……あぁ、まぁそうだなぁ」
歓子の言葉に答えたのは、黙々と趣味のフィギュア造りに勤しむ、広報部長・沢井英司。
英司は、フィギュアの形を整えるデザインナイフの手を止め、ため息をつく。
「……ほんの一年くらい前までは、ひと仕事終えるのもやっと、ってくらいだったのになぁ、彼は。」
「そうですよね……帰る時も、疲労しまくってぐったり、って感じだったのに……
今じゃ、仕事終わってからも好きなスポーツに打ち込む毎日ですもんねぇ」

「えぇ? 古屋さんってそんなに身体弱いんですか? 全然そうは見えないんですけど。」
そう言って、素直に驚くのは最近入社したばかりの新人・大島 梧。
「そうなんですよ。ずっと入院を何度も繰り返してたのに、いきなりああなったんですよ!
何か、裏があるんじゃないかって、沢井部長が常に監視してるんですけど、特に何もわからなくて…。
ほんと、『ただ普通に』すっかり健康体になっちゃったんじゃないですか?」

もう調べるだけ無駄なんじゃ?といった感じの歓子に、どうにも腑に落ちない英司は、ため息をつきながら頬杖をつく。
「ふむ………」

『病弱だった』など、今現在の司しか知らない者に話しても、梧の言うように信じられないであろう。
かつて、古屋 司は、頻繁に入退院を繰り返すほどの病弱であった。
それもたった一年前までの話である。
幼少時から何度も死にかけ、幾度となく開腹手術を受けている。
そんな彼が、突如として健康体……いや、常人よりもはるかに超人的な体力をつけたと言っていいだろう。
それまでの彼を知る者にとっては、信じられないと思うほどの『進化』を遂げ、現在に至るのである。

歓子が言うとおり『ただ普通に健康体になった』のであれば、これ以上に良いことはない。
だが周囲の者は、司が何らかの『普通でない手段』を用いて今の健康な身体を手に入れた、ということに
薄々と感づいていた。

午後8時。

トレーニングを終えた司と、それに毎日付き合う彼の幼馴染…購買部の百武愛子は、
公園の自販機の前でスポーツドリンクを飲みながら談笑していた。
9月とはいえ、夜はだいぶ涼しくなった。
汗をたくさんかいて少々身体が冷えてきた司は、汗だくのTシャツを豪快に脱いでパーカーを羽織る。
「いやー!今日もなかなかのいいタイムだったな!もう少しで自己ベスト更新だったのになー」
一方の愛子は、汗一つかいていない。そして陽気な司とは対照的に伏目がちに答える。
「つかちゃん、毎日すごいなー。ホント、去年までの病弱っぷりが嘘みたい……」
「お前、それ毎日言ってんなー! おれはもうバリバリの健康体だって、何回言わせんだよ!
今じゃお前と張れるくらいのタイムで走れるんだ。それともおれに追いつかれて悔しいのか?ははは」

人間離れした運動能力を持つ愛子だが、司はその愛子の運動能力にも匹敵した記録を出し続けている。
無論、驚きや嫉妬もないわけではないが、愛子はそれ以上に司の変貌ぶりに不安を抱いていた。
幼い頃から、彼の死に際を何度も見ていた愛子。
この元気さが、いつか一気に破綻して、命を落としてしまうのではないか…そういう不安でいっぱいであった。
「……そりゃ、お前が心配するのもわかるけどさ。
お前には昔っからおれのカッコ悪いとこばっか見られてるし。でもよぉ…
おれ、こうやってせっかく元気になったのに…もうちょっと喜んでくれてもいいんじゃね?」

不安げな愛子の表情を読み取ったのか、司がややおどけながら諭す。
「…ねぇ、つかちゃん。本当に、元気になったんだよね? 何か怪しい魔法とかおまじないとか
改造とかされたりとかしたんじゃないよね……何より、無理してないよね?
今の元気の反動が来て、いきなり………死んじゃったりしないよね !?」

いくら司本人が大丈夫と言っても、愛子から不安はなかなか消え去らない。
何を根拠にそう思うのかわからないが、思いつくままの当てずっぽうの根拠を挙げて訴える愛子に、
何故か司は、否定も肯定もしなかった。
「愛子……」
必死に訴える愛子を見つめる司。その視線は、何故か彼女に申し訳なく思う心を感じさせた。
「お前さ、例えば……足枷つけられて、好きなこと何にも出来ないけど、50年生きるのと、
足枷外して、何でも好きなこと、自由にできるけど1年しか生きられないの、どっちがいい?」

「………… !!!」
「おれは、おれの意志で今を生きている。だからこの先何が起きようと、誰のせいでもない。
おれのせい……おれの責任で起こることだから。な。」

何の迷いも躊躇もない笑顔で語る、司。
そんな笑顔を向けられてしまうと、本当にこれで良いのか、と愛子は何も言えなくなってしまう。
「さ、帰ろうぜ。明日も朝から走るぞー!」
黙り込んでしまった愛子の額を、拳で軽くコツンと叩くと、司は機嫌よく歩き出した。

愛子を最寄り駅まで送り、自宅へと徒歩で向かう司。
人気のない路地で、突然膝から崩れ落ちた。
「……は………っ、そろそろ、時間か………
……まぁ、愛子といる間まで持って、良かったな……っう……」

額には脂汗をかき、眉間にしわを寄せ、息を荒くする。

「そろそろ『晩飯』の時間のようだな? 司」

地べたに這いつくばり、苦しむ司の前に、黒い影。

「おれの血なんていくらでも採っていいから……あと……
……あと一ヶ月は、確実に持たせて、くれ………頼むから………っ!」

司と愛子が出走するマラソン大会まで、あと一週間と迫っていた。

「………はぁ……はぁ………」

日曜日。
会社が休みである今日、司と愛子は、共に出走する同じアマチュアサークルのメンバーと共に
朝からトレーニングに励んでいた。
だが…いつもはトレーニングを終えても元気に笑顔で談笑する余裕があるのに、
今日の司は妙に息を切らしている。
「つかちゃん……今日すごく調子悪そうだけど……も、もしかして……」
司が苦しそうな表情を浮かべるだけで、過去に司が死に掛けたことを思い出し、
愛子が不安そうに顔を覗き込み、額に手を当てようとする。
「な……なんでもねえよ。誰にだって調子悪い日くらいあるだろ。」
愛子に悟られまいと、司は無理矢理背筋を伸ばして彼女の手を払う。
(……まずいな……1回の『供給』でも半日も持たなくなってきてんのか……
夜までどうにかして誤魔化さねぇとな……)

少しでも体力を温存しようと、司は木陰のベンチで一休みする。
幸い、呼吸の乱れと嫌な汗だけは治まってきた。
「良かった…落ち着いたみたいね!ま、最近暑かったり寒かったりで気温差激しいし、調子悪い日もあるか!」
あれから愛子は、司に無理矢理問いただそうとは思わないことにした。
彼が言うように、素直に彼が元気にスポーツできる身体になったことを喜ぶことにしよう…
…そう心に言い聞かせ、純粋に彼とのサークル活動を楽しんでいた。
「大会まであと一週間か……すっげ、楽しみだな!」
「そうだね~。まぁフルマラソン(42.195km)とか、あたしは割と日常的に走ってるけど。
みんなで走るのは楽しいよねっ!」

「お前のその体力はほんと羨ましい限りだな……おれ、ずっとフルマラソン走るの夢だったから、
マジ楽しみ! 今までは走りたい気持ちがあっても身体が到底追いつかなかったからなー。」

「つかちゃん……」
「おれ、今、サイッコーに幸せだよ!」
「……そうだね……あたしも、ずっとつかちゃんと一緒にスポーツしたいって、思ってたよ」
「だろー?」
今日は体力の事について何も訊いてこない愛子に安心したのか、
司は笑顔で相槌うちながら、スポーツドリンクを飲み干す。
気にしないように努めようとしても、心の中のモヤモヤがどうしても晴れない愛子は、
話を逸らそうと、ふと目に留まった、司の左肘に着けてあるサポーターを指差す。
「そ、そーいえばつかちゃん、その大きなサポーター、最近ずっと着けてるよね。肘悪くしてるの?」
突然、思いも寄らぬ部分を指摘された司は、冷や汗をかいて驚く。
「べっ………別に、なんでも………」
「なんともないのになんで着けてるの? 暑くない?」
「い、いっいいじゃん!コレかっこいいだろ!」
…………?
なせサポーターひとつでそんなに慌てるんだろう……?
直感で怪しいと思った愛子は、突然司に飛びかかる。
「お、おい何す………」
司が抵抗するよりも速く、愛子は左肘のサポーターを思い切りずらした。

「…………… !!!!」

露になった司の左肘に、愛子が目にしたもの、それは……
「なに……これ………噛み傷………?」
唖然とする愛子の隙を見て、司はベンチから這いずり、逃げ出す。
「か、噛まれたんだよ……い、犬に。みっともないから隠してた……だけだって」
犬などの動物に噛まれたとしても、何度も何度も噛み付いている、明らかに不自然な無数の噛み跡。
「嘘!おかしいよそれ!……つかちゃん、やっぱり何か危ないことして……」

”ガッ !!!! ”

「……うっ……!」
愛子が司に詰め寄ろうとしたその瞬間、背後から何者かに強烈な一撃を喰らい、気を失って倒れてしまう。
真っ黒な、大きなローブを羽織った、司の『黒幕』が現れた。

「……おい!何もカンケーねぇ愛子に何すんだっ!」
「しくじったな……このままこの小娘にお前の力の『カラクリ』がばれて、
お前の大事な大会に出れなくなってもいいのか?」

「…………!」
「どちらにせよ、この小娘は目を覚ましたら、お前のことは会社に報告し、全力でお前を止めにかかるだろう。
今までの練習を全て水の泡にして、そのまま犬死にする気か?」

「……それは………困る………」

『黒幕』は、地面に倒れこんだ愛子を抱きかかえると、そっとベンチに寝かせた。
「真冬でもないし、放っておいてもそのうち目を覚ますだろう。
……来い、司。すぐ近いうちにお前は追われる身となるだろう。大会まで匿ってやる。」

「お、おう…………」
明らかに邪悪で怪しい空気を持つ『黒幕』。
なのに、自ら攻撃した愛子をご丁寧に寝かせたり、自分の事情を察して協力してくれたりと
端々に優しさを垣間見せる謎の行動に、司は首を傾げつつも従った。

大会まであと一週間。
どんな手段を持ってしても、成し遂げたいものが自分にはある。

「ごめん、愛子……!」

ベンチに眠る愛子に謝りながら、司は『黒幕』と共に闇に消え去った。

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