11月。
経理部に奥田早瀬が入社してから、早くも3ヶ月が経とうとしていた。
「奥田く~ん、もう仕事は慣れたかい?」
テキパキと伝票類を整理する早瀬の背後から、能天気そうな声で悟史が尋ねた。
「ええ、吉村部長。仕事の方はだいぶ慣れてきました。
まだ多少のミスはありますけれども…」
謙遜しつつも、早瀬は淡く微笑みつつ答える。
「ミス?えぇ?俺奥田くんがヘマやるとこなんて見たことないよ~?
君はすごいデキる人だからね~。今まで一人で大量の仕事をこなしてた
眞妃ちゃんもきっと助かってるよ」
成沢眞妃。
社員の栄転・昇進その他の人事を、年齢経験を問わず、
能力のみを評価して行うこの会社にて、24歳にして部長という重職に就く彼女は
経理部自慢の才媛であり、早瀬の上司でもある。
自らの席の隣で、毎日卒なく仕事をこなしている彼女の横顔を見ながら、
早瀬は彼女に対して、次第に尊敬の念を抱くようになっていた。
(本当に…部長は若いのにしっかりしたお方だ………)
自分より年下にもかかわらず、その凛とした出で立ちに敬意を払わずにはいられなかった。
「そういえば…眞妃ちゃん、ハリーちゃんは元気かい?」
早瀬の隣りで黙々と仕事をする眞妃に、悟史が嬉しそうに尋ねる。
「ええ、それはもう…。心配なんて絶対に要らないほどですよ」
「そっかあ~。イギリスはきっと寒いんだろうなぁ~。
あ、そういえばこの間送ってもらった紅茶、すっごいおいしかったよ~!」
早瀬は、時々耳にするこの『ハリーちゃん』という人物が
紛れもなく眞妃の夫であることは知っている。
結婚している女性に、むやみに親しくする訳にはいかない。
そんなことは当然、わかっている。
だが、眞妃を始め、社員達が口にする『ハリーちゃん』の話を聞いていると、
だんだん首を傾げざるを得ない人物像が浮かび上がってくるのである。
早瀬が今まで耳にした、主な彼の情報は次の通り。
…吉村悟史(営業部)
「結婚写真撮ったとき、ハリーちゃん、ウエディングドレス着たがって困ったんだって?」
…森川みはる(総務部)
「ハリーちゃんに口紅もらっちゃったんだ♪『この色いいのよ~ン♪ボクも使ってるのン♪』って」
…クリスティーン・フォックス(総務部)
「成沢サン!これ、ダンナ様が着たガッテたエプロンドレスデス!渡してオイテクダサイ!」
ウエディングドレスやエプロンドレスを着たがり、口紅を愛用する成沢部長の夫とは…
早瀬はどうしても気になって仕方がなかった。
かと言って、眞妃本人に聞くのも少々気まずい。
早瀬が悶々としているうちに、いつの間にか眞妃は席を外していた。
早瀬は、彼女のいない隙に、同じフロアの営業部で一人仕事をしていた吉村悟史に声をかけた。
「あの…吉村部長。ちょっと聞きたいんですが。」
「ん?なにかな?」
「…成沢部長の旦那様って…どんなお方なんですか?」
「ああ、ハリーちゃんかあ~。あはは、そうだなぁ…一言で言えば」
その時。
言葉を続けようとした悟史の口を、大きな両手が塞ぐ。
「一言で言えば極悪だな!」
悟史の口を塞いだ犯人は、情報システム部の遠山 満であった。
「ご……ごく、あく……?」
満の口から聞かされた恐ろしい”事実”に、早瀬は口をあんぐりとさせる。
「ほれ、コレが写真だ!」
満の名刺入れから取り出された写真には…
金髪で、ショートカットの外人さんが写っていた。
「遠山部長……これは、男性…ですよね……?」
ハリーちゃんは紛れもなく男だが、
見た目だけなら女としても十分通用するほど、可愛い顔をしている。
「表向きはな。だが…………
みんなはただのオカマっぽい男だと思ってるが、オレは知っている。本当は女なんだ」
「ま、まんちゃ……!ぐむぅ」
ツッコミを入れようとする悟史の口を、再度強く塞ぐ満。
「女性って……女性同士は結婚できませんよ!?」
満の話を間に受けている早瀬は、信じられないというような目で満に訴える。
「それができるんだな。
眞妃の旦那……名前は成沢 明。だが本当の名はハインリヒ=明=ナッポポチョフ。
ナッポポチョフ大王国の王女様で、来日していた時に眞妃の事を知り、眞妃に言い寄ったんだ。
『あたしと結婚してくれなきゃ、日本を滅ぼしてやるわー!ホホホー!!』
ナッポポチョフ大王国は、女同士でも結婚できる法律なんだ。
眞妃は日本を守るために、ハリーちゃ……ハインリヒ王女と結婚したんだ。
眞妃も最初は嫌がっていたんだが、ナッポポチョフ大王国秘伝の催眠術で、
ハインリヒ王女のことをすっかり男だと思いこんでるんだな、これが」
「…もぐもほんばうぼほ…(よくもそんな嘘を…)」
口を塞がれつつも、悟史は呆れた表情で言う。
大体そんなバカバカしい嘘を、早瀬が信じるものか。
そう思い、悟史は早瀬を見た。
早瀬は顔面蒼白で震えていた。
「……そ……そんなバカバカしいことが……」
「…ほが、はっばひ…(ほら、やっぱり…)」
「ははは!な~んてな……」
信じる方がおかしい、満も元々そう思っていたのか、
冗談で済まそうと思ったその時。
「そんな馬鹿げたことが許されると思っているのですか!!!!!
成沢部長!! 貴方は騙されている!!!
俺は絶対にその王女を許さないっっ!!!!」
…そう叫ぶと、早瀬は自分の席を立ち、もの凄い勢いでオフィスを去った。
オフィスには、早瀬が走り去った勢いで立った綿ぼこり。
「……もしもーし?(汗)」
経理部には、呆然と立ち尽くす満と悟史の姿が残るのみであった。
(続く)