「おはよう、みはる」
会社に着くと、いつものように眞妃が挨拶をしてくれる。
「おはよう…眞妃ちゃん」
眞妃は、すぐにみはるの様子がおかしいことに気付く。
「どうしたの?また変な夢でも見た?」
みはるが朝から元気がないということは、
たいてい夢見が悪いせいだということを、眞妃は知っている。
「ううん、なんでもない。大丈夫だよ」
いつもなら…
『そうなのーっ!聞いてよ眞妃ちゃん!!』
と、話し出すみはるだが、今回ばかりは口を閉ざす。
「あっ、おはよう…みはるちゃん」
びくっ!
背後から、昨晩の夢の相手に声を掛けられ、
体を凍らせるみはる。
「あ、お、おはよ…橘くん…」
「…?」
「あっ、あたし…お茶入れてくるね!」
そう言って、みはるはその場から逃げるように立ち去った。
(どうしよう…橘くんの顔、マトモに見れないよぉ…)
みはるは、夏に一度、橘に告白されている。
だが、みはるはその返事を曖昧にしてしまっているため、
それ以来、橘とはほんの少し気まずい雰囲気なのだ。
普通に会話は出来るが、どことなくよそよそしい感じになってしまう。
そんな状態の時に、あんな夢を見てしまっては、
顔など見ていられるはずもない。
一体、これから何が起こるのか。
得体の知れない不安に、みはるはただ恐れおののくばかりであった。
「…何だか僕、
今朝からみはるちゃんに避けられてるような気が…するんです…」
昼休み。
食堂にて、眞妃と橘が、トランプで遊びながら
深刻な面もちで話していた。
「私もそう思うわ…変よね…」
「次、成沢さんですよ」
「わっ…わかってるわよ!」
二人がプレイしているのは、ポーカー。
カードゲームには、実はとことん弱い眞妃は、
現在、橘に15連敗中である。
何度やっても1勝もできない眞妃。
負けず嫌いな彼女は、毎日、勝つまで
橘に付き合ってもらっているのである。
「大島さんのこと意識し始めたとか」
「…いや…それはないんじゃないですかね…」
(朝からあの調子ってことは…絶対、昨晩
大島さんに関係する夢を見たに違いないんだろうけど…)
よっぽど深刻な内容だったのか。
「まいどーーーーっ!お昼休み中失礼いたしますね~~」
「失礼だと思うなら来ないで下さいよ」
突如飛び込んできた脳天気な挨拶に、
橘が冷たく言い放ったその相手は。
N.H.K専属保険屋の営業マン、二階堂 柊、
本名・大島 柊である。
「そんな~橘くんってば!
おにいちゃんが来たからって照れちゃってぇ♪」
「照れてません!(怒)」
橘は、自分と顔は同じでも性格が180度違う、
この無神経で脳天気な兄が大嫌いなのである。
「あっ、柊ちゃん!」
柊を発見して、嬉しそうに声を掛けてきたのは、
先ほどまでの話題の中心人物、みはるである。
「おや、みはるちゃん。今日も可愛いね~」
「やだ~もうっ!柊ちゃんったらっ!
そうそう、あたしこの間、柊ちゃんが出てる雑誌買ったよ♪」
柊は、副業としてモデル稼業もしているのだ。
「いや~ありがとう、みはるちゃん~はっはっは」
「ほらほら~!これカッコイイから切り抜いて持ち歩いてるのっ!」
二人がキャピキャピと会話を繰り広げている中、
橘は、静かに席を立った。
「すいません、成沢さん。僕、席に戻ります」
「あ…大島さん…」
少し頭を痛そうにしながら、橘はぐったりとその場を去った。
ここ最近、柊とみはるは妙に仲がいいことに、橘も気付いていた。
柊とみはるは、特に深い付き合いをしているわけではないのは知っている。
だが、自分がみはるに相手にされていないのも事実である…
(未練がましいよなぁ…僕)
ふと、廊下に貼られているカレンダーに目をやる、橘。
日付を軽く指さして、ある日付まで日数を数えてみる。
あと3日。
(いいかげん…決めなきゃ…)
橘には、ある指定の日付までに、決めなければならないことがあった。
「みはる、あんた二階堂さんのこと好きなの?」
駅まで向かう帰り道の途中である。
「え?何言ってるのお?眞妃ちゃん」
何のこと?とばかりに、とぼけるみはる。
「だって…二階堂さんにベッタリだったから」
「やだあっ!あたしと柊ちゃんはそんなんじゃないもんっ!」
言葉とは裏腹に、目尻がたれっぱなしである。
(この子…二階堂さんが大島さんのお兄さんだってこと、忘れてるわね…)
「だってだって、柊ちゃんゲーノージンだよ?
ゲーノージンの知り合いなんて、すっごいカッコイイじゃないっ!」
この言葉から察するに、みはるは柊のことを恋愛対象としては
見ていない、と眞妃は判断する。
憂かれまくるみはるの言葉を無視して、
眞妃は聞きたかった本題を言う。
「なんで今日、大島さんを避けてたの?」
にやけていたみはるの顔が、一瞬凍り付く。
「や……やだなー眞妃ちゃん。何言ってるのぉ?」
「何か、重要な夢を見たんでしょ?」
「そ…そんなんじゃないってばっ!」
「正~~~~直に言いなさい!」
眞妃は、みはるの手を、折れるくらいに強く握り、睨み付ける。
こういう時の眞妃には逆らわない方がいい。
みはるは観念した。
「ふ~~ん…大島さんとのお別れの夢ねぇ…」
二人は、駅まで向かっていたのを、行き先を変えて
会社の近所の公園へと来ていた。
「それと、橘くんがあたしに『○○さんと幸せにね』って言うの。
名前がよく聞こえなかったんだけど…」
「へ~。じゃああんたに恋人ができるかもしれないのね。
良かったわね。あんた彼氏が欲しいってしょっちゅう言ってたじゃない」
「そりゃ…うれしいけど…」
恋人ができる。それはすごく嬉しいし、楽しみだ。
だがそれは、おそらく橘との別れと引き替えに、である。
「嬉しくないの?…それとも、大島さんとの別れの方が気になる?」
眞妃は、みはるの考えていることがわかっているくせに、
わざと意地悪そうに問いかける。
「え、そりゃ気になるよ?…だって友達だもん」
「…こりゃ実際に痛い目に遭わないとわからないわね…この子は…」
眞妃は、軽くため息をつくと、座っていたベンチから立ち上がり、
小声で呟きながら、公園を後にする。
「え、え?なんか言った?眞妃ちゃん。…あーっ、待ってよっ!」
その日の夜。
”トゥルルルルル… トゥルルルルル… ”
「はい、大島です」
夜10時。大島家に一本の電話が入る。
電話を受けたのは橘の母・華絵だ。
「…柊ですか?ちょっと待って下さいね。
柊さ~~ん!お電話ですよ!女の方よ~」
華絵は、大声で2階にいる柊を呼ぶ。
その声は、柊の隣の部屋にいた橘にも聞こえていた。
柊宛に女性からの電話なんて、珍しくもなんともない。
橘は特に気にも留めていなかった。
だが、その電話が実は眞妃からだったということは、
知る由もなかった。