「ま、マジで告ったんかお前」
翌日。湧木から話を聞かされた遠山 満は驚いて口から煙草を落としかけた。
「なんでそんなに驚くんッスか?頑張ってみればー?って言ったのまん部長じゃないッスか」
「あ、ああ…そいえば言ったっけか?まあいいや。んで沙織はなんだって?」
「その場でOKもらったッスよ」
「マジで!?」
満は再度驚いてまた煙草を落としかける。
「……だからなんでそんなに驚くんッスか。それじゃまるで僕が最初から振られるって決めつけてたような…」
「え?あ、いや。そんなことないって!沙織ってお前みたいなのが好みなのかーあっはっはって感じ?」
「それフォローのようで全然フォローになってない……。
ま、相談乗ってくれて感謝!またなんかあったら報告するッスね~」
何か予定でもあるのか、湧木は足早にその場を去った。
一人残された満は、訝しげに頭を掻く。
(オレはてっきり沙織はカズさんのことを……って思ってたけどそれはやっぱ単なる噂だったのかぁ?)
「沙織ね~さ~んv」
今日もカリカリと仕事をこなす沙織に、背後からしがみつく湧木。
「のわぁあいきなり抱きつくなコラ!誰かに見られたらどうすんだっ」
「あぁ~いつもの残業タイムが薔薇色に見えるッスよ~」
「人の話をきけー!!」
「もうこんな遅くだし誰もいないし、それにバレたらなんかマズいことでもあるの?」
「……ない、けど。」
湧木はいまいちノリの悪い沙織から腕を放し、隣の椅子に座る。
「正直ね、こんなにすんなりOK貰えるなんて思ってなかった」
「………」
「沙織ねぇさん、彼氏いないって割にどことなくガード硬いし、好きな男でもいるんかなーとか思ってたし………でも」
少しだけ不安げな視線を向け、沙織の両肩を掴む。
「OKくれたってことは、少しは僕のこと好きな気持ちがあるんだって、自信持っていい……んッスよね?」
沙織はしばらく黙ったあと、迷いつつも絞り出すように語り始める。
「……ごめん、正直な気持ち言うね。
あたしさ、前に旦那の浮気が原因で離婚したことあって。
それ以来なんつーか、男の人の愛し方忘れちゃったっていうか…
好かれても、どう答えていいか分からなくなっちゃった。
あんたのことは、好きか嫌いかで言えば、すごく好きだよ。付き合おうって言われたら断る理由がないよ。
でも…仮に昨日告ってきたのがあんたじゃない他の友達の男でも、同じ返事してたかもしれない……でも、」
湧木は、さらに言葉を続けようとした沙織を抱きしめる。
「ホントのこと話してくれてありがとう。すっげー嬉しいよ。そこで嘘でも適当に好きだって言われるより嬉しい」
「湧木…」
「僕が、愛し方を思い出させてあげる」
申し訳なさそうに頭を垂れる沙織の顔を持ち上げる。
「いつか、この口から湧木廉太郎が好きだって本気で言わせてみせるから」
宣戦布告を受けるが如く、沙織は目を閉じた。
・
・
・
数日後…
桐島上総は、ここ数週間沙織と顔を合わせてはいなかった。
事業企画部の仕事が忙しいのと、自分の上司である開発研究室長、久我恭一郎の出張に付き添ったりとで
彼自身ほとんど会社に姿を見せていなかったのだ。
(この1ヶ月弱で札幌、函館、仙台、浜松、京都、大阪、神戸、岡山、福岡、鹿児島……きつかったな……)
少しぐったりしつつ、オフィスに向かう上総の背後から明るい声が。
「あっれー、桐島さん久しぶり!」
彼にとって至上に愛おしいその声の主の方を向く。
「おはようございます、沙織さん!」
久々に聞く声に喜びもひとしおと言った上総。
「あ、そういえば…」
出張中に彼女のために買ったお土産があることを思い出し、鞄から取り出そうとする。
「沙織、おっはよ!」
(『沙織』?)
聞き覚えのある声、しかしこの声が沙織を呼び捨てるとは思ってもいなかった上総はやや不機嫌そうに振り向く。
「湧木君…」
「桐島主任もおはようございます。出張お疲れ様ッス!なんか疲れてそーッスねぇ」
確かに疲れてはいるが今の彼の表情の曇りは疲れによるものではない。
「おっはよー、廉!」
(『廉』?)
この二人…呼び捨てや愛称で呼び合うような仲だったか…?
焦るような表情で二人を交互にじっと見る上総の心を読んだかのように沙織が追い打ちをかける。
「ああそういやまだ話してないっけね。あたしと湧木付き合ってんだ」
……………………。
その瞬間、頭の中が真っ白になった上総はその場で固まることしかできなかった。
・
「おーい桐島くーん。もう終業だぞー」
朝から研究室の前にて固まりっぱなしの上総のもとに、遂に上司である久我恭一郎までもが様子を見に来た。
「おもろいなー、全然びくともしないぜ。今なら額に肉って書いても気づかねーかな」
満が面白がって油性マジックを取り出す。
「やめろよ満…今は気づかねーかもしれないけど気づいたらたぶん根に持つぜ?桐島さんのことだから」
半分本気で、半分笑いをこらえながら東堂浪路が止めに入る。
「それにしてもなー、オレほんと、沙織はカズさんと怪しいって思ってたのになぁ」
額に悪戯書きを止められた満は、上総にデコピンしつつ首を傾げる。
「まさか告られてその場で二つ返事でOKするとはなー。沙織ちゃん、人付き合い分け隔てないけど…
昔オトコで色々あったみたいだしそう言うところは軽くはないかなって思ってたんだけどな。
ま、よっぽど気が合ったんかねー」
「沙織さん…告白されて…その場で了承したんです…か?」
動きのなかった上総がようやく口を開く。
「お。生き返った」
「いや死んでねーし」
「沙織さん…告白されて…その場で了承したんです…か?」
壊れたレコードのように同じ台詞を繰り返す上総。
「ああ…なんでも告白されて迷わずOKしたとか」
放心状態だった上総の瞳にようやく生気が宿る。
しかしその瞳は、常に穏やかな雰囲気を醸し出すいつもの彼の目つきではなかった。
「お……おいカズさん?」
上総は、心配そうに見つめる満や浪路を無視して無言で歩き始めた。
その足は事業企画部へと向かっていた。
・
「何の用だよ、あたし残業で忙しいんだけど」
事業企画部に乗り込んだ上総は、残業をしていた沙織を無理矢理、屋上公園へと引っ張り出してきた。
いつもの彼ならこんな強引なことはしないし、されたとしても沙織が引っぱたいて断るのがオチなのだが…。
オフィスで顔を合わせた瞬間、断れる雰囲気が微塵も感じられなかった彼女は為すがままに連れてこられたのだった。
「湧木君に……告白された時、その場で了承したって本当ですか」
「そうだよ?それが何か悪いの?」
「貴方は前から湧木君の事を好きだったんですか」
「んー、そういうワケじゃないけど。別に断る理由ないし。イイヤツだし。すぐ好きになれると思ったし」
「じゃあ何で僕は……っ」
曇りがかった夕焼けの空。時が経つにつれ雲が黒く厚みを帯びてきたと思うと、
この場の空気に追い打ちをかけるように、ポツポツと雨が降って来た。
だが雨など気にしてはいられない。更に言葉を続けようとする上総であったが。
パン!パン!パン!
「はいはいはい、そこまで」
掴みかかるくらいの勢いで言い寄る上総と、いつもの強気さが感じられない沙織の背後から、
二人の会話を遮るが如き強く手を叩く音と共に湧木が現れた。
「あんな殺気立たせて職場に来て、ヒトの彼女連れてかれて、僕が付いてこないとでも思いました?」
「廉……あたし……」
「心配しないで沙織。僕は沙織が二股かけるような酷い女じゃないって信じてるから。
…なぁるほどね。まん部長が僕が告白しても見込みがないって思いこんでた理由は主任…あんただったわけか」
戸惑う沙織の肩を抱きながら、不敵な笑みを浮かべつつ上総を見る。
「会話から察するに、主任は僕より先に沙織に言い寄ってたわけだけど、断られ続けてたと。
そこに後からしゃしゃり出てきた僕が沙織をかっさらったと。そんな感じッスかね?」
淡々と簡潔に、状況整理をする湧木に何も言い返せない上総。
色々と複雑な事情はあるものの、全くもってその通りの解釈に反論の余地はなかった。
「何度言い寄ってもOKされないっていうこと、つまり沙織にはその気がないってわからないんッスか?
確かに沙織はまだ僕のこと好きじゃないかもしれない。でもOKしてくれたってことは…少なくともあんたよりは」
「廉!もういいよ!やめてよ!」
追いつめる湧木を沙織が止める。
「あたしはあんたを選んだんだからそれでいいだろ!
桐島さんだって、あたしが誰と付き合おうと文句言う権利ないだろ!?
もう恋愛沙汰で揉めるのは勘弁なんだよ!」
そう叫ぶと、沙織は湧木の腕を振りほどいて屋上から逃げ出そうとする。
逃げ出そうとした彼女の腕を今度は上総が掴む。
「あんた、何を…」
「君は黙ってろ」
腕を引き離そうとした湧木は、恐ろしく威圧感のある上総のひと睨みに思わず後ずさりする。
雨は徐々に激しくなってきた。
雨粒で視界が妨げられるのを振り払うため、上総は眼鏡を外した。
眼鏡越しではない、上総の真剣そのものである眼差しに、沙織はどきりとする。
「貴方はまだ……僕が貴方を妻の代わりにしてると思ってるんですか」
「……だって……」
「逆に言えば……最初から妻が居なかったのなら貴方は僕の想いに答えてくれたのですか」
「!……そこまで言ってないだろ!?」
「言ってるんですよ、貴方は!」
「そん…っ なこと………」
「あの……僕が某ライバル会社の喫茶店に乗り込み、貴方と共に傷を負った時、言いましたよね。
蔵石沙織は手強い女だと。あれは、口説く気なら本気でかかってこいと。僕はそういう解釈をしてました。
…僕はいつだって貴方に本気でした。貴方も少しずつですが、答えてくれてるように見えました。
なのに……いつからか、僕が貴方を妻の代わりとしか見ていないと頭から決めつけて来ましたね」
「…………」
「沙織さん、貴方はただ…………本気で誰かを愛するのが怖いんじゃないですか」