[小説]歌う山 - The Singing Mountain -(2)

小説/本文

激しい揺れは数秒続くと、パタリと止んだ。
遊歩道は跡形も無く崩れ、谷間へと落ちて行った。
…浪路と共に。
揺れが止まってからも…
木の幹にしがみ付いたまま、眞妃はガクガクと震え出した。
(嘘……嘘よ!な、浪路が…!!)
早く浪路を救出しなければ…!!
否、早く皆に知らせ、手分けして捜し出すのが先か。
しかし、動こうにも腰から下に力が入らない。
…キ――――ン…
(や、やだ…耳鳴り?)
眞妃は耳に痛みを覚え、両耳を押さえる。ショックによる耳鳴りだろうか?
(どうしよう…!! 早く、早く皆に…)

「…眞妃、何やってるの?」

涙目で木にしがみつく眞妃の背後から、
彼女にとって、もっとも耳慣れた声。
明である。
「あ……明…」
「ど、どうしたの?そんなに泣きそうになって!」
腰が抜けてへなへなと崩れ落ちる眞妃を、明は寸でで抱きとめる。
「そ、そこの……遊歩ど……」
「落ち着いて、眞妃。何があったの?」
「そこの、遊歩道が崩れ落ちて…っ」
「………へ?どこが?」
必死に声を絞り出す眞妃の言葉に、
キョトンとした表情で言い返す、明。
「な、何が?どこが崩れてるの?」
「何って、見れば分かるでしょ!? そこの遊歩道……
…………………えっ!?」

指差した方向……遊歩道は、崩れ落ちてなどいなかった。
最初に眞妃が浪路に声を掛けた時と同じように、細くて少し急な、
しかし、しっかりとしたロープで柵が張ってある遊歩道がそこにあった。
「ど……どうなってるの!? だって、さっき…確かに凄い地震が……」
あの位の大地震なら、この遊歩道からさほど離れていない
宿や温泉も、同様に揺れたはずだ。
ここにいる明だって知っているはず。
だが、明は。
「地震……?別に、全然揺れてなんかないよ?」
「何冗談言ってるのよ!あんな凄い地震……」
「う~ん……そんなこと言われても……」
明の目は本気だった。
「あ、あれが幻だったって言うの…?だ、だって…私、見たもの…!
浪路が、崩れ落ちる遊歩道と一緒に、落ちていったのを!」

「えぇっ?…でも、しっかりとロープ張ってあるし、
自分から飛び降りようとでもしなきゃ、落ちることなんてあり得なそうだけど…
きっと、ずっと下のほうに歩いていったんじゃないの?ナミちゃん。
……気になるなら、一緒に降りてみよっか?」

眞妃は、先ほどの惨事を脳裏に蘇らせながら震えつつ、
明に手を引かれて、ゆっくりと遊歩道を降りていった。

二人は遊歩道の一番下まで歩き、滝壷のある大きな川岸にたどり着いた。
「ナーミちゃーん?」
「浪路ー…?」
呼んでみても、返事はない。
眞妃は辺りをぐるりと見回した。
来たときと同じように、静かな水の流れと、穏やかな緑。
先ほどの大地震は、幻だったのだと思わざるを得ないほどの静けさ。
「う~ん、どこ行っちゃったんだろうねぇ?
まあ、ナミちゃんはこんな山奥で無茶なことはしないとは思うけど。」

明は、天気の良い空に向かって背伸びすると、
うんと深呼吸をして、微笑む。
「あ、そうだ。みんながバーベキューやろうって言ってたから
ボク、呼びに来たんだった。そろそろ戻らない?」

「……でも……」
「大丈夫だよ!ナミちゃんもすぐ戻ってくるよ。」
笑顔で手を引く明に、眞妃は。
「…ごめん、明。後からすぐ行くから、先に行っててくれる?」

半ば無理やりに明を宿に帰してから、
眞妃は必死に川岸をぐるぐると回りながら、歩き始めた。
時には崖や岩場に手をペタペタと触れさせたりもした。
(あれが……あれが、幻だなんて…やっぱり思えないもの…
それとも何か、あれが事実だったという証拠でも見つかれば…)

遊歩道の出口から川岸沿いに歩き始めて、数十分。
眞妃は、浅瀬の岩場に、見覚えのあるものが流れ着いているのを見つけた。
(あれは……!!)
思わず駆け寄り、『それ』を拾い上げる。
最後に浪路を見たときに、彼女がかぶっていた帽子である。
上流から流れてきたのか、少しだけ濡れていた。
しかし、帽子を濡らせているのは、川の水だけではなかった。
後頭部分に、明らかに水ではないものの染み。
血だ。

決定的な『証拠』を発見した眞妃は、
血のついた帽子を握り締め、手を震わせながら
全速力で宿へと走っていった。

「久我さんっ!」

血のついた帽子を片手に、眞妃が掛けつけたのは
夫・明の元でもなく、皆の元でもなく。
N.H.Kのトラブルメーカー且つ天才狂科学者・久我恭一郎のところであった。
きっと、『幻の大地震』が起こった事を、皆に話しても
明同様、それなりの常識を持つ人間なら誰も信じてはくれないだろう。
それなら、元々考え自体が非常識な久我に取り合って貰おうと考えたのである。
「おお…何だね眞妃君……君から私のところに来るなんて珍しいね……フフフフフ」
いつものように不気味な笑みを浮かべる久我。
この男なら、腐っても天才なのだから、何かしらの解決策を見つけてくれるだろう。
そんな淡い期待を胸に、眞妃は今までの出来事を全て話し、
拾った帽子を久我に手渡した。

久我は、眞妃から帽子を受け取ると。
何も言わずに謎の薬品やら顕微鏡やらを取り出し、
帽子に付着した血液を分析し始める。
分析を終えると、ノートパソコンを取り出し、
会社のネットワークにアクセスして、社員の健康診断のデータを引き出す。
その間、わずか数分足らず。
作業を終えると、久我からは、いつもの不気味な笑みは消えていた。
「……これは間違いなく、浪路君の血液だね。」
そう久我に宣告されると…眞妃は、
先ほどの地震がやはり事実だったのだと確信した。
それと共に…浪路が遊歩道と共に落ちて
少なくとも、頭から血を流すほどの怪我を負って…
この山のどこかで苦しんでいる。
あるいは…命を落としているかもしれない。
そう思うと、一瞬にして血の気が引いた。

「眞妃君、落ち着いて……このラボに、皆を呼び、私から説明しよう。
君が見たものは、全て事実だ。それをまず、皆に理解して貰わなければ…」

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