「あ~~もう……どこだよ、ここは…。」
久我達が謎の基地に乗り込んだその頃。
沙織は基地内を、宛てもなくとぼとぼと歩いていた。
「桐島さんともはぐれちまったし…なぁ。
満はアホだから慌てることも無いだろーけど、あの人はなぁ…」
上総の事は、あれだけ拒絶していても、
いなくなればなったで、気になってしまう。
彼が精神的に追い詰められると弱い事を、誰よりも知っているから。
「まあ…なるようになるか…な。」
しかし、歩いている場所は、延々と銀色の床が続いている。
かれこれ1時間ほど歩いているが、景色は一向に変わらなかった。
「なっがい廊下だなぁ…どこまで続いてんだよ!
あたしをアラスカまで歩かせる気かぁ!?」
何故アラスカという地名が出てきたかは知らないが、
とにかく短気な沙織はイライラが絶頂に達していた。
もう、何でもいい。この廊下が終わるなら何でもいいから起こってくれ。
そんな気持ちだった。
”ゴゴゴゴゴゴ……”
何やら鈍い音が、遠くから沙織の耳に入った。
「また…地震かな…」
沙織は気づくはずも無いが、この音は久我が基地を爆破した音であった。
「とにかく、誰でもいいから合流したいよな…
浪ちゃんが見つかれば一番いいんだけどさ。」
謎の音を特に気にもせず、沙織は歩く足を速めた。
だが、その時。
”……あ~なた~と ふ~たり~……”
(ん……歌…?)
しばらく歩いていると、廊下の奥あたりから微かに歌声らしきものが聞こえた。
耳を澄まさないと聞き取れないが、日本語の歌である。
沙織は、自らが知る歌全てを、一瞬にして脳裏に蘇らせたが、
少なくとも、彼女が聞いた事がない歌詞と声であった。
(もしかして…ここの住人さんが歌ってるのか…!?)
足を進めるに連れて、その歌声は大きくなってくる。
その声の正体を暴きたいのと、
この退屈な長い廊下を終えたい気持ちでいっぱいになった沙織は、
廊下を駆け足で突き進んでいった。
しかし。
「止まっちゃった……」
しばらくすると、その歌声はピタリと止んでしまった。
廊下は終わらない。
結局、ふりだしに戻ってしまったのである。
沙織はもう我慢がならなかった。
「ちくしょ――!! いつまで歩きゃいいんだよ!?
もう、浪ちゃんでも桐島上総でも、誰でもいいから出て来ぉ―――い!!!」
『キャ――――――――!!!!』
沙織が叫ぶのとほぼ同時に、
突然天井から甲高い悲鳴が聞こえたかと思ったら、
そのまま沙織の頭上に、人間が落ちてきた。
ドスン!!!
「うわぁああぁあっっ!!?? 痛ったーぁあっ!!!」
「痛たたたン…………あれっ、沙織ちゃん!?」
「な………ハリーちゃん!?」
思わぬところで、お互い思わぬ人物に出くわした二人は目を丸くした。
「ほらほら、早く退いて!重たいっつーの!」
放心状態で沙織の上に重なったままの明を、沙織は思いきり突き飛ばして退ける。
「いやーン!痛いわン酷いわン!沙織ちゃんっ♪」
痛いだの酷いだの言う割には嬉しそうな明。
「新婚が他の女の上に乗るもんじゃない!」
「いやぁン♪沙織ちゃん、そのセリフちょっとえっち♥ ウフフフフ♥」
どんな状況でもいつも通りの明を見て、
沙織は先ほどまでの不機嫌と不安など、吹き飛んでしまった。
いや、むしろ呆れてモノも言えなくなったというか。
「それにしてもさ、あんたどっから湧いて出てきたのさ。」
「それが……川岸の岩に変な文字が書いてあってねン。
それに触ったらここに飛ばされたのン……って、あッ!」
突然、明の顔が不安げな表情に一変する。
「な、なに?どうしたの?」
「眞妃ちゃん………は、どこ行っちゃったんだろう?」
明は、眞妃が自分を追って、あの文字に触れただろうと予測した。
なら、同じ場所で消えたはずの眞妃は、
一体どこへ飛ばされてしまったのだろうか。
「きゃぁぁああっ!!」
ドスン!
明を追って、謎の文字に触れて『消失』した眞妃は。
明が落ちたところとは、全く別の場所に落とされていた。
「痛った~……何なのよ……もう……」
眞妃が落とされたのは、沙織がいた場所とはうって変わって、
だだっ広いホールのような場所であった。
だが、壁や廊下の材質は、沙織達がいる廊下と全く同じである。
眞妃は、あたりをぐるりと、360度見まわしてみる。
特に誰も居なければ、何もない。
前方奥に、防火扉のような扉がひとつ、あるのみだ。
「明……?」
先に消えたはずの夫の姿も見当たらない。
眞妃は、ふと上を見上げた。
天井がとても高い。20メートルくらいあるだろうか。
一体、どこに連れて来られてしまったのだろう。
ここは、自分達がいたあの山のどこかなのか?
それとも全く別の場所なのか?
自らの手で基地の扉を開け、侵入した沙織や満達とは違い、
突然に連れてこられた眞妃は、
何もかもが正体不明のこの場所にいるだけで、
まるで夢の中にでもいるかのような感覚に陥った。
この目に映る全てが、ウソのように見えてしまう。
”お前の目に映る全てが真実だと思うなよ”
こんな非常事態なのに…ふと、以前浪路に言われた言葉を思い出す。
正しいものは目に見えるものだけじゃない。
そう教えてくれたのは彼女だった。
眞妃は、両手で自分の両頬をパシッと叩く。
呆けてる場合じゃない。
かつて彼女は、眞妃が人生の岐路に立たされた時、助けてくれた。
今度は自分が彼女を助ける番だ。
浪路がここにいるという確証は無い。
だが、不思議と…
彼女はすぐ近くにいる。そんな根拠の無い自信がこみ上げてくる。
「待ってて…浪路。今行くから。」
眞妃は走り、唯一の通用口である防火扉のノブに手をかけ、開けようとした。
その時。
「…うぐっ…!!」
背後から、何者かに口を塞がれた。
とても生きた人間とは思えない、氷のように冷たい手。
眞妃はゾッとしたが、ここで怯んだら負け。
そう思い、ギュッと目を閉じると、その手を掴み、
無理矢理剥がす。そして思いきり投げ飛ばした。
投げ飛ばした『モノ』は、意外にも軽く、
勢い良く床に叩きつけられた。
そして、その正体不明の『モノ』を投げ飛ばした眞妃は、恐る恐る目を開いた。
「だ………誰……?」
眞妃が目にした『モノ』は、眞妃が初めて目にする『生物』であった。
「-・-・-・-・-あ、あーあーあ」
最初、全く理解の出来ない、意味不明な言葉を発したかと思うと、
声慣らしのように何度も「あ」を連発する、謎の生物。
頭1つに胴体が1つ、手足が各2本。
目が2つに口は1つ。背は眞妃とさほど変わらないだろうか。
見た目は人間とほぼ同じである。
だが…真っ白な短めの髪。
肌は銀色で、身体全体がうっすらと光に覆われているその姿は、
紛れもなくこの地球上の生物ではないことを示していた。
「あ、あああーああー。…よし、ノドは大丈夫!」
今度は、ハッキリとした日本語で話す。
眞妃は、訳が分からず呆然とするばかりだ。
「あ、ドーモ。いきなり投げ飛ばされたんで驚きました。
見なれない方がいらしたんで、声を掛けようとしただけなんですが。」
声を掛けようとするだけでどうして口を塞ぐのか。
よく分からないが、どうやら悪意はなさそうである。
眞妃は、恐る恐る口を開く。
「あの……貴方は、誰…ですか?」
「私はここの住人のムニォネピェヤヌニスリャンと申します。」
「はっ!? ムニ…??」
聞いた事もない響きの名前に、眞妃は最初のニ文字しか覚えられない。
「まあ、長い名前ですから、略してピーターとでもお呼びください。」
「どうしてその名前でピーターになるのよっ!?」
見知らぬ生物に対しても、眞妃のツッコミは容赦ない。
「ところで、先ほどから基地内に侵入者が
何名かおられるようですが…あなたのお仲間でしょうか?」
どうやら、基地内にN.H.K社員達が潜りこんでいる事は、
この『ピーター』にはお見通しらしい。
(もしかして…明も、その他の人も…この基地に入りこんでるのかしら…?)
侵入者がいても、特に慌てずにキョトンするピーターを見て、
眞妃は最も重要な事を思い出す。
「…し、侵入者って…
私は行方不明になった私の友達を捜していたら、
良く分からないけど、ここに来ちゃったのよ!
別に狙って来たわけじゃないわ!
妙な文字が書かれた岩に触っただけで……」
眞妃の言葉に、ピーターはポン、と手を叩く。
「妙な文字…?ああ、それ、私が書いたんですよ。
『落し物を預かってるので、ここから取りに来て下さい』って。
私、字を書くのは少々苦手なので、読めませんでしたかね?
いやいや、お見苦しい。」
「っていうかそういう問題じゃないでしょ!!
日本語で書きなさいよ!」
初対面のくせに、結構テンポの良いボケツッコミを繰り広げる二人。
しかしその直後、眞妃の目の色が変わった。
「…って、まさか…まさかその落し物、って…!!」
眞妃がそう言った瞬間、ピーターはものすごい光に包まれ、
一瞬にして姿を変えた。
その姿は……皆が捜し求めている、その人の姿だった。
「なっ、浪路!?」
「こういう姿のお方をこちらで預かっております。
既にお一人、引き取りにいらしてますが。
よろしかったらそちらまでご案内しますよ。」
・
捜しに捜し求めていた浪路が、ここにいる。
颯爽と元の姿に戻ったピーターの後を、眞妃はほんの少し緊張した面持ちでついて行く。
(よかった……助けてくれた人が、普通じゃないけど、
もう、無事だったら何でもいいわ……)
ピーターの話だと、既に先客が一人、いるらしい。
もしかして明だろうか?
明は元々、浪路とは仲が良い。きっと人一倍、彼女の無事を喜んでいるだろう。
「さ、こちらです。」
ピーターに案内された、曇りガラスの張られたドア。
そっと手で触れると同時に、溶けるように消えた。
これがピーターの国の科学なのだろうか。
しかし今の眞妃には、そんなことはどうでも良い事だった。
10メートルほどの細い廊下を抜けると、
学校の教室くらいの広さの部屋に辿りついた。
「な、成沢さん…」
少々間の抜けた声で名を呼ぶのは、先刻ピーターが話していた先客。
明ではなく、上総であった。
そして…
上総の後方には、壁や廊下と同じ材質と思われる金属製の台。
その上に、浪路は横たわっていた。
「浪路…!!」
眞妃が最後に見た、あの時の服装のまま。
見た目、外傷も全くない。
数時間前は、あんなに憎まれ口を叩き合ったのに、
今、彼女をとてもいとおしく感じる。
早く……彼女の声が聞きたい。そして、謝りたい。
そう思った眞妃は、微笑んで涙ぐみながら呟く。
「早く…目覚ましなさいよ……もう。」
その言葉を聞いた上総は、そっと、眞妃の肩に手を触れる。
珍しく眼鏡を外し、眉間にしわを寄せる上総。
「どう…したんですか?桐島さん…」
「成沢さん……東堂さんは、もう……」
「……もう……?」
「………亡くなられたんです………」
苦しそうに、吐き出すようにそう言うと、
上総は服の袖で、涙を拭った。
「………嘘、でしょ………?」