[NEWS] そのままの君でいて・2

○刊ねぎ秘密結社ニュース

一夜が明けた。

「あら、おはよう。今日はずいぶん早いのね、みはる」

昨日の寝坊のドタバタが嘘のような早起きに、母は驚く。
母の言葉に、一夜明けても自分が『みはる』のままであることを確認する、みひろ。
(まだ……夢の続きなんだ……)
起きて、自分の自室であった部屋を確認してみたが。
昨日までは置いてあったような気がする、私物、大学の教材など。
はじめから何も無かったかのように消えていた。

だが、そんなことは、もうどうでもいい。これは夢なのだから。
私は、みはる。大島 橘さんの婚約者。
みひろは、自分に都合のいい夢を満喫していた。

……自分が存在していなくても、なんの不都合もなく進んでいく日常に、
心の奥では悔しく思いつつも。



「おはようございます」

朝の森川家に、橘が訪れてきた。
「あらぁ!大島さん。わざわざ迎えに来てくれたんですか?
あ、そうよねぇ。昨日みはるったら、遅刻しかけたものねぇ」

「い、いえ!今日は朝余裕があったので、たまには、と思って……」
「だらしない奥さんで、ほんとごめんなさいね。
……みはる!大島さんが迎えに来てくれたわよ!早く支度なさい!」


「もう、支度できてるよ。
……おはよ、橘くん。迎えに来てくれてありがとうね」






「割と早めに迎えに行ったのに、もう準備万端だなんて珍しいね、みはるちゃん。
いつもなら頭ボサボサにしてドタバタしてるのに」

「うん。今日は、早く目が覚めたから」
駅に向かう小道を、橘とみひろは二人並んで歩く。
その姿は、誰が見ても恋人同士。
ずっとずっと……みひろが夢見ていた光景だ。

談笑しながら歩いていると、若者の男女の団体とすれ違った。
大学のサークルか何かの集まりのようだ。
「すごい人数だ。大学のサークルかな。大学生は楽しそうだなぁ。
……そういえば、みはるちゃんは高卒で会社入ったんだよね。
大学行こうとは、思わなかったんだっけ?」


そういえば、みはるは何故、高校を卒業してすぐに、就職を決めたのだろうか。
高校時代も、大学受験の勉強はおろか、大学選びすらしていた様子はなかった気がする。
だが、自分は……みはるではない。真相など、わからなかった。
「あ、あはは……あたし、勉強苦手だし……み、」
「み?」
『みひろちゃんと違って』勉強は苦手。
そう言葉を続けようとして、みひろは口をつぐんだ。
みひろはこの世界には存在していないのだ。
母に『みひろ』の存在を否定されたことは当然ショックであったが。
最愛の橘にまで存在を否定されたくはない。
無意識の防衛本能が働いた瞬間であった。

(みひろちゃん、か………そういえば、昔はみはるからは、
『お姉ちゃん』って呼ばれてたけど…いつからだろ、名前で呼ばれるようになったの…)


ふと、そんなことを思い出しつつ。
二人は会社へと向かっていった。










「何か、嫌なことでもあったのォ?みはるちゃん」

会社にて。
総務部の同僚の、成沢 明に突然そう問われた。
「……え? そんな風に見えますか?」
「え~、だってぇ、なんというかぁ、昨日から、すっごく落ち着いてて、
仕事てきぱきこなして、ボクが買ってきたお菓子にもあんまり手をつけないで
真剣に仕事してるんだもン♪」

「真剣に仕事をすることの何が悪いんだ。良い事じゃないか」
そう、明の言葉に突っ込みを入れるのは、総務部長の奥田早瀬。
「そぉねぇ♪ ……でも、なんかみはるちゃん、いつもより大人しいから、
落ち込んでるのかなぁって思って。な~んかオフィスが、静かなカンジ♪」

きっといつものみはるなら、無駄に元気が有り余って明るいからであろう。
「落ち込んでなんてないですよっ…あ、そろそろ休憩時間だし、お茶入れてきます!」
同僚達の視線から逃げるかのように、みひろは湯沸し室へと走っていった。

ほどなくして、みひろが総務・人事部の人数分のお茶を持って戻ってくる。
「お茶持って来ました」
お盆の上に並べられた湯飲みを見て、その場にいた何人かがいつもとの違和感に気付く。





「あ……あれ……僕の湯飲みが、ないです……」
まず口火を切ったのが、人事部の西城寺初南賛。
「えっ…」
バイトでたまに来る程度のみひろでは、
当然誰がどの湯飲みを使っているかまでは、把握できていなかった。

食器棚に収められた湯飲みを見渡して、
普段使い込んでいそうなものを取り出してはみていたのだが。

「私はいつも、コーヒーを頼んでいたのだが……まあ緑茶も飲めなくはないが」
次に突っ込みを入れてきたのが、早瀬。
湯飲み同様、社員の好みまでも把握はできていない。
お茶を一口飲んで、最後に明が物申す。
「……なんだろ、いつもと違う味がする気がするぅ?お茶が。」

「ご、ごめんなさい……!」
特に怒られたわけではないが、何か皆に責められた気がしてしまったみひろは、
顔を真っ赤にして肩を落とす。
「やっぱり、いつもと調子が違うね、みはるちゃん。
なにかあったの?何か悩みでも、あるの?」

心配そうに、明が問いかけてくる。

橘と婚約したことは、まだ社内の誰にも伝えていない。
だが、そのことを伝えたところで……本物のみはるならば、調子が悪いどころか、
幸せいっぱいで悩みなんて全く感じられないはずだ。
かと言って、自分…『みひろ』の存在を明かして、
また他人から自分を否定されるのは、怖い。

『みはる』としても、『みひろ』としても不完全な、今の自分。
みひろは、身動きが取れなくなってしまった。

「黙っていて、すいません。体調が悪いので、今日は早退しても、いいですか…?」










夕暮れの公園で、呆然とベンチに座る、みひろ。
夕方とはいえ、今日も暑い。
しかしそんな暑さを忘れてしまうほど、みひろは思いつめられていた。
(よく、考えたら……一番かわいそうなのは、みはるだ……
あたしに人生を乗っ取られて…本当なら、これから、幸せな花嫁さんに、なれるのに……
あたしは、姿はみはるだけど……心だけ残って、存在が消えちゃった)

普段、誰も何も言わないが、会社の面々は無意識に、
みはるの元気と笑顔に毎日癒されていたのだろう。

社員の湯のみや、好み、お茶の入れ方。
毎日欠かさずお茶くみをしてきていた、みはるにしかできないことである。
(みはる…みはるは、やっぱりすごいよ……
何気ないことかもしれないけど、誰からも必要とされている。
…どうして…みはる、どこ行っちゃったの?なんであたしの心なんかが残ったの?)

「……みはるちゃん。ここにいたんだ。
体調悪くて早退したって聞いたから、びっくりしたよ」


今にも泣き出しそうなみひろの前に、橘が現れた。
もう、今すぐ真相を話したい。
橘に『みひろって誰?』と言われるのは怖い。
だが、それ以上に。みひろは、消えてしまったみはるのことが心配だった。
自分はもう消えてなくなってしまってもいい。
みはるに、みはるの人生を返してあげたい。
様々な思いが脳裏を駆け巡るが、言葉にならない。
みひろは、橘に何も答えず、ただただ大粒の涙を流し始めた。





無言で涙を流すみひろに驚いた橘は、なだめるように、みひろの両頬を手で覆う。
橘の両手の大きさに、胸の鼓動が一瞬、早くなる。
『みはる』を心配する心が、手を伝わって感じてくるようにも思えた。
もう、みひろに迷いはなかった。早くこの手に、本物のみはるを返さなければ。

「……今まで、黙っていて、ごめんなさい、橘さん……
あたしは、みはるじゃない。みひろなの……みはるの双子の姉なの」


否定されるのを承知で、みひろは声を搾り出すようにして真相を語った。
まるで死刑宣告を待つ囚人のように、泣きながら震えるみひろを……
橘は、優しく抱きしめてあげた。

「……やっと、話してくれたね。みひろちゃん」

みひろって、誰?
双子の姉って、嘘でしょ?
そんな答えを恐れていたみひろは、耳を疑った。

「この世界を創ったのは、君だよ。けど、自分を否定しちゃだめだよ。
みひろちゃんにはみひろちゃんの、魅力があるんだから」

「な……なに、言ってるの……? あ、あたしなんて、みはると比べたら……」
「比べる必要なんてないよ」
「な、なによ……橘さんだって、みはるの方が、いいくせに……」
「……確かに、僕の彼女はみはるちゃんだけだけど……
君も、僕の大切な女の子には、変わりないから」

「………!?」
「みひろちゃんが、みはるちゃんになる必要なんて、ない。
僕は……強気で、小悪魔的で、頭良くって、勉強家で……とっても妹思いな、
みひろちゃんが、一人の人間として、すごく好きだから。
君が頑張ってる姿見ると、僕も頑張らなきゃって思えるんだ。だから……」


自分なんて、いてもいなくてもいい。
明るくて、かわいくて、誰からも愛されるみはるだけが、いればいい。
心の奥で、そうずっと悲観していたみひろの心が、満たされていく。

「みひろちゃんは…そのままで、いいんだよ」

最後まで恋人になることは、できなかったが。
恋人でない自分にとって、最高の言葉をもらえた。
橘は、みはると比べることなく、みひろの良いところも、ちゃんと知っていた。


「ありがとう……橘さん……」


悲しみに沈んでいたみひろの涙が、うれし涙に変わり…ようやく笑顔を見せると。
橘の腕の中から、その姿は、静かに消えていった。





(つづく)

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