名を尋ねられた『彼』……渉は、恩人かつ高位の者への礼儀として、
自己紹介と、自らの『吸血鬼』としての経歴を語りだした。
「僕は元々…九州の、長崎の生まれでして。200年ほど前の時代ですが。
ご存じかもしれませんが、長崎は当時の日本では数少ない、
外国からの船が出入りする地でもありました」
そこで彼は、ごく普通の一般庶民であり、小さな商家の息子として生まれた。
もちろん、人間として。
特別裕福でも、貧乏でもなく、平凡な人生を送っていたが、
その生活は、22歳の時に一変する。
「大きな、外国の……どこの国かはわかりませんが。船が寄港したときのことです。
その船に……船に乗っている間、食事にありつけなかったと思われる……
先ほどの僕みたいな、飢餓状態の外国の吸血鬼が乗り込んでいました」
当時、海運業界に憧れていた渉は、夜にこっそりと停船している船を眺めに出かけた。
そこで、飢餓状態の吸血鬼に出くわしてしまったのだ。
「抵抗する間もなく、僕はその吸血鬼に血を大量に吸われ……その後の記憶はありません」
「……恐らく、血を致死量、一気に吸われたんだろうね。
運が悪ければ、たぶんそのまま死んでいたんだろう」
そう。『運が悪ければ』。だが……
『資質』のある人間は、吸血される際に牙を介して微量に得る吸血鬼の体液の効果により、
その資質を目覚めさせられ、吸血鬼と化して蘇ることがある。
「……それから、どれくらいの時間が経っていたのかわかりません。
目を覚ました時には、土だらけで墓地に立ち尽くしてました。
恐らく、一度死んでしまって、家族に手厚く葬られていたのでしょう……」
渉は苦笑いをしつつ話を続けた。
「はは……その当時は信じられるわけがなかったですよ。自分が死んでたなんて、
ましてや、人間じゃなく吸血鬼として生き返ったなんて。
だから、必死になって帰りましたよね。もちろん、当時の家族のもとへ。
……けど、現実は残酷でした」
死んだと思った息子が、間違いなく土に葬ったはずの息子が突然、帰ってきた。
喜ばれるどころか、妖怪だ、鬼だ、物の怪だと恐れおののかれ、
棒で殴られ石を投げられ、全力で追い払われた。
「……あの時、結婚を約束していた女性にも、泣き叫びながら逃げられましたよ」
傷だらけになり、迫害され、身をもって知った。
自分の味方はひとりもいない。この街にはもういられない。
そう悟った渉は、その後日本国内を転々と移り住みはじめたのだという。
「……そっか。……まぁ、仕方ないよね。
この世は人間中心。人間が一番偉い世界なわけだから。
例え、俺たちが人間を食らう側の種族であっても、ね」
人間という種族からの迫害。
吸血鬼ならば、一度は同じ道を通る運命なのかもしれない。
夜半にも、同じような経験はあった。
ただし夜半には、やられたらやりかえす強い力が十分に備わっていたため、
渉の語る過去よりもさらに血生臭い思い出ではあったが。
「君をその身体にした吸血鬼には、会ってないのかい」
「住んでいた街を追われた際に、一度だけ会ったことがあります。
その時に、吸血鬼としての生き方のノウハウを教わりました」
「うーん、200年前か。俺がまだ日本にいない頃だなぁ。知り合いではなさそうかな」
「……恐らくですが、その方はもうこの世にはいらっしゃらない気がします。
何十年か前に、自分の主が居なくなったような…何かが身体から抜けたような、
原因不明の喪失感に襲われました。たぶん、それがそうだったのかもしれないかと」
「自分を吸血鬼化した『親』との、何か見えない繋がりみたいな、
第六感みたいなのがあるのかな。真祖の俺には感じることのない感覚っぽいな。
……まぁ、普通の吸血鬼は長命だけど不死ではないからね。
きっと何かの不幸で死んでしまったんだろう」
「ともあれ……僕が人間として生まれて、22歳でこの身体になって……現在、181歳になります。
普段は人間として、そして密やかに吸血鬼として生きてきて、今、妻も迎えて幸せに過ごしてます」
その妻と言うのが―――――
「蔦子ちゃんかぁ~~~~………世間は狭いなあ」
「まさか、御真祖様と同じ会社とは。今まで気付かずに、すみませんでした」
渉は、改めて正座し、手をついて深々と頭を下げる。
「ごし………?いや……いやいやいや、そんな恭しく頭下げないでよ。なんかやりづらくなる」
「何をおっしゃるんですか。主から御真祖様がどういった存在なのかくらいは、教わっております。
運が良ければ会えるかもしれない、吸血鬼一族の神のような存在だと。
先ほどだって僕に素晴らしく、そして恐ろしい能力を見せつけてくれたじゃないですか!」
「あれは君への教訓のつもりで……うわ」
先ほどの恐怖で震えあがって何もできなかった時とは打って変わって、
渉は興奮気味に夜半に『食らいついた』。
「そっか…蔦ちゃんの会社に、御真祖様……嬉しいな、こんな身近で御真祖様を拝めるなんて!
……あっあの!良かったら、一緒に写真撮っていいですか!?
吸血鬼仲間同士でシェアしてる、SNSにアップしてもいいですか!?」
そう言って渉は、興奮冷めやらぬ状態でスマホ片手に夜半にすり寄った。
「……ちょっと、、何この慣れ慣れしさ。
……だんだん、蔦子ちゃんの旦那らしいなって思えてきたな……」
夜半は頭を抱えながらも、されるがままにスマホのカメラに納められる。
そこで、たった今渉が吐き出したある言葉に我に返った。
「……待って、吸血鬼『仲間』?
まあ当然、この日本に吸血鬼が一人だなんて思っちゃいないけど……
他にも同族の仲間がいて、連絡を取り合ってるの?」
IT用語にとことん疎い夜半には『SNS』という言葉は耳に入らなかったようだ。
「ええ、もちろんです。……では、僕が故郷を離れてから今まで
どういう活動をしてきたか、お話ししましょう」
「故郷を出て最初は、関西のあたりで暮らしていました。
……けど、どこへ行っても、色々と問題を起こしてしまったりして、
長くは住めなかったんです」
「まぁなんか君ドジそうだしね」
話しているうちに、だんだんと渉の性格が読めてきた夜半は、
元々遠慮はしていないつもりだが、さらに遠慮なく印象を述べた。
「うわぁ酷い!そ、そりゃドジ踏んで正体ばれて
住まいを追われたこともありましたけどっ……そういうことじゃないんです!
長く住んでいれば住んでいるほど、現実との『ズレ』が生じるじゃないですか、僕たちは」
「ズレ……?ああ」
「そうです。住み始めたときに22歳だとしても、10年住めば32歳。20年住めば42歳です。
歳は取っても、身体の年齢に変化は起きません…周りにも、怪しまれるんです。
当然、生まれた時から持っていた戸籍は、使い物にならなくなりました。
戸籍の管理が杜撰だった昔ならまだ良かったのですが、今のこのご時世だと、
身分が証明できるものがないと、普通に生活するにもかなりの制限を強いられるんです」
「ふーん……そういうもんなのかね」
元々海外出身で、裏の人外社会にも精通しており、なおかつ実力もあった夜半は、
稼ぎ口は引く手あまたで苦労したことはなかった。
「この姿で100何歳です、と言っても人間社会じゃただの頭のおかしな人です。
なんとか怪しまれずに、安定した職と住居を得るには一体どうしたら…
と詰んでた僕に、手を差し伸べてくれた人がいました。
……それが、『JVO』です」
「『JVO』?」
「Japan Vampire welfare Organization. 日本吸血鬼生活保護機関。
略して『JVO』です!」
日本に住んで約100年。夜半にとって初めて耳にする組織名だった。
生活に困ったことのない吸血鬼にとっては縁のない組織なのかもしれないが。
「とは言っても、当時はまだ組織でもなんでもなく、
ただの同好会というか、茶飲み友達というか、定期的に情報交換する集まりみたいなものでした。
その後、地位と財力のある人間の理解者を得て、組織を発足しました。
僕は、その設立のお手伝いを少しさせていただきました。
今もソーシャルプランナーとして、オンラインで相談に乗ったりとかしてるんですよ!
Webクリエイターというのは、実をいうと表向きの肩書きみたいなものですね。
まぁ、ちょくちょく『普通の仕事』も請け負ってはいますが」
自らの仕事に誇りを持っているのだろう。渉は実に誇らしげに自分の今の役割を語る。
誇りある仕事話に目を輝かせる渉を前に、夜半は少しだけ引っかかるものを感じていた。
(日本には……いや、人間出身の魔物に、同じような境遇の者同士の組織があるのは、
別に悪いことでも、おかしいことでもないが……引っかかるのは……)
”地位と財力のある人間の理解者 ”
(JVOね……一応、頭に入れておくか)
夜半の考えをよそに、渉は調子よく話を続ける。
「JVOでは、吸血鬼をはじめとする魔族の生活を支えるため、
戸籍……と言っても、偽戸籍ですが…を発行したり、仕事の斡旋をしたりしてるんです。
僕も、今の名前は新たな戸籍を得た時につけました。
おかげで妻と入籍することもできましたし~♥」
渉は蔦子のことを本当に愛しているのだろう。
元々たれ目がちの目を一層垂れさせて、幸せそうな笑みを浮かべる。
「妻……ね。蔦子ちゃんは、君のその素性を知ってるの?」
「………!」
夜半の問いに、渉の幸せそうな笑みが一瞬にして凍る。
「……い、いえ、話してないです。話せませんよ……こんなこと」
「生涯共にすると誓ったんだろう?素直に打ち明けたらいいのに。
それこそ、あと数十年すれば君のいう『年齢のズレ』が生じるじゃないか」
「そ、それはそうなんですけど……こ、怖いんですよ……
僕、むかし婚約者に逃げられたし……それがどうしてもトラウマで……
……それにきっと、打ち明けたら、我慢できなくなっちゃう……」
「我慢?」
「大好きな蔦ちゃんに、欲望のまま噛みつきたくない……
彼女を、エサにしたくないんです……」
「………」
その昔、夜半も一人の女性に対し同じ想いを抱いたことがある。
自分が知る限りとても大らかで、周りにも変わった知人の多い蔦子が
夫が吸血鬼であるという事実を受け入れないとは、到底思えないのだが。
夜半には渉の気持ちが少なからずわかってしまう。
けど、だからこそ。
「……生きてるうちに、絶対に打ち明けたほうがいい。
蔦子ちゃんは、君が人間じゃないくらいで拒絶するような、薄っぺらい女性じゃないでしょ」
「……………」
そんなことは、わかっている。
もたもたしていれば、いずれ蔦子のほうが先にこの世を去ってしまう。
だが、百年以上、同族以外に明かしたことなど一度たりともなかった、
自分の本当の姿を打ち明ける勇気など、そう簡単には湧かない。
”ピコピコピコッ ”
沈黙が続く二人の間を割って入る、気の抜けた電子音。
音の元は、渉のスマホ。
「………蔦ちゃんからだ。僕が部屋にいないことに気付いたんだ!
は、早く帰らないと……!すっ、すいません!そろそろ失礼します!」
このまま、自分よりも強大な存在である真祖に問い詰められるような空気にも
耐え難かった渉は、逃げ出すように踵を返し、慌てて玄関から飛び出そうとする。
玄関のドアノブに手をかけ、勢いよく開けた。
「あ、待っ―――」
ガチャッ
「うわぁぁああ!!!」
開いたドアの先には、雲一つなく、煌々と輝く朝日。
ただの吸血鬼である渉にとって、すべての闇を切り裂く朝日の光を浴びるのは、
地獄の炎を浴びるのと同義である。
一瞬でも光を浴びた、肌という肌が火傷を負ったかのように赤くただれてしまう。
時間は既に午前6時をまわっていた。
「ごめん、部屋の窓は遮光カーテンで覆ってたからね。外の明るさまでわからなかったか」
「い、痛い………」
「その顔じゃしばらく家には帰れなそうだね……」
夜半はしばらく考えた後、
スマホを片手に、実に痛そうに顔を覆う渉の手からスマホを奪い取る。
「………あぁ、もしもし。ん?そう、白鳥。
昨晩、君の旦那さんがうちの近くで体調悪そうにしてたのを、うちに連れ帰って介抱してたんだ。
だいぶ良くはなったけど、一度様子を見に来てくれないかな」
「!!??」
『すぐ行く!』と返事があったのか。ほぼ会話も交わさずに電話を切った。
「ちょ、ちょ、ちょっと、困ります!!
僕こんな状態で蔦ちゃんに会えないですよ!」
「蔦子に正直に打ち明けろ」と言われた直後の、強制面会。
渉には嫌な予感しかしなかった。
「ほう、じゃあその火傷が治るまでうちに居座ると?
それもまた随分と図々しい話だね。その傷は俺の責任でもないのにねぇ?」
「う゛っ………」
昨晩の失態を思うと、何も言い返せない渉。
既に治ってしまってはいるが、一応夜半には怪我も負わせてしまっているのである。
「その程度の傷、吸血鬼の君なら30分も休めば綺麗に治るでしょ。
あとは日が高くなるのを待って、厚手のコート羽織って日傘でもさしてれば何とか帰れるだろう。
そのくらいは貸してあげるよ」
「な、なら……別に蔦ちゃんをここに呼ばなくても……」
「自分が何者かどうかなんて別として、蔦子ちゃんは『君が』無事かどうか心配して、
携帯にメッセージを送って来たんだよ。1分1秒でも早く顔を見せてあげなきゃって、思わないのかい?」
そうだった。
そう思ったからこそ、時間も確認せずに慌ててドアを開けて、この状態になってしまったのである。
(アパートからここまでたぶん20分……いや15分……
いや、蔦ちゃんのことだから走ってきて、もっと早く……
ど、どうしよう……この傷、なんて説明すれば……)
成すすべもなく、おろおろとうろたえる渉。
「……仕方ないなぁ」
見かねた夜半が、唐突に渉の頭を鷲掴みにし、くしゃくしゃと軽く揉むと、
渉の頭から足のつま先まで、温かく心地いい電流のようなものが走った。
「うっ………!?」
突然の不思議な感覚に驚くが、気づくと顔や手足の傷がきれいに治っていた。
「あっ……ありがとうございます!御真祖様……いっいえ、白鳥さん!」
夜半のおかげで、朝日を浴びて負った傷の言い訳もせずにすむ。
彼との関係も勘ぐられないためにも、呼び方も気を付けなければ。
この後蔦子が到着しても、傷を治してくれた夜半がうまく口裏を合わせてくれるだろう。
”ピンポーン ”
電話を切った後、本当にすぐに飛び出してこちらに来たのだろう。
いつも綺麗に巻かれている髪は寝起きのまま、寝間着に厚手のパーカーを羽織っただけの蔦子が到着した。
髪はボサボサ、着衣は乱れ、息を切らしている。
早く渉の無事を確認したく、着の身着のまま走ってきた様子が見て取れた。
「白鳥部長、おはようございます!すみません、うちの人が…
本当に、助けてくださってありがとうございます!」
蔦子は、すぐに渉の病状を確認したい気持ちを一瞬抑えて、恩人である夜半に一礼をする。
そして改めて、夜半の一歩後ろにいる渉に目を向けた。
「渉ちゃん!!!一体、夜中に出かけて倒れるなんて……
部屋見たらいなくて、びっくりしたんだから!もう、仕事で無理しすぎたんでしょ!
大丈夫?歩いて帰れる?タクシー呼ぶ??」
蔦子は、渉が口を挟む間を与えないくらいに勢いよくけしかける。
「だ…………」
「日傘とコートくらいは貸すけど、それでも吸血鬼に朝日はしんどいから
日がもうちょっと高くなるまで少し待った方がいいと思うよ」
渉が口を開く前に、夜半がサラッと口を挟む。
「えっ?白鳥部長は別に送ってくれなくても大丈夫ですよ?」
「いや俺は別に平気だけど、渉くんは普通の吸血鬼だから無理だよ」
「えっ」
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
(続く)