「は~~~~……今日も暑っちぃなぁ……もう9月だっつーのに」
9月の、とある平日。
秋に差しかかっているにもかかわらず、真夏と変わらない日差しの照り付ける日。
午前10時と、遅めに起きた東堂浪路は、部屋の窓を荒っぽく開けて、気だるげに愚痴を吐いた。
「ま、せっかく取ったリフレッシュ休暇だ。
今日は一日予定もねーし、だらだら~~っとのんびり過ごすか。
……しかし暑いな~。ホントに今9月なのか……よ………
………おぉ?」
暑い、と再度愚痴をこぼした瞬間。急に周りの気温が下がったような気がした。
(なんだ、急に涼しい……いや、むしろ寒い!?)
起きたばかりで、エアコンのスイッチも入っていない。
突如起きた謎の怪現象に怯えていると、ふいにインターホンが鳴った。
” ピンポーン ”
ベランダにいた浪路は、慌ててインターホンのモニターを覗く。
すると、そこには怪現象を起こした原因である人物が立っていた。
「なんだ、吹雪ちゃんだったのか。どおりで寒いわけだよ」
「なんだとは何よ。この私が自ら、涼を届けに来てやっているのよ。感謝しなさい」
「っつーか今日平日だぞ!来てくれるなら前もって言ってくれりゃいいのに!まあ会えたからいいけどさ」
烏丸吹雪。都会に生きる、正真正銘の『雪女』。
持ち前の美しい容姿を武器に、街中を暗躍しては男を喰い荒らす恐ろしい妖怪……だが
最近は一緒に暮らす『子ども』のためにも人間社会とうまく共存する方向で暮らしているようだ。
「キャッキャッ なぁー!」
吹雪に抱きかかえられた子どもが、見慣れた顔を目の前にして喜びはしゃぐ。
「おー!雪彦!久しぶりだな~! 大きくなったな!
母ちゃ……俺のこと覚えてるか?」
浪路は、実はこの雪彦を、一時期だけ養子として引き取っていた時期があった。
雪彦……烏丸雪彦は、元は21歳の青年で、吹雪とは双子の姉弟。彼女と同じ『雪女族』の妖怪であった。
だが、一度死んでしまうも、さまざまな奇跡が重なり、人間の赤ん坊として生まれ変わってしまう。
種族が違えてしまった吹雪は去り、引き取る身内がいなくなった彼を、養子にして育てていくと申し出たのが浪路であった。
しかし、結局弟が心配でならなかった吹雪が、浪路との話し合いと説得を重ねて、円満に引き取っていったのだった。
あれから数カ月。
離れた時から、ひと回り大きくなった”元”息子を目の当たりにし、浪路は目を細める。
「……やっぱ、実の姉ちゃんと一緒にいた方が、幸せだよな」
目を細めて愛しいと思うと同時に、少しの寂しさも感じる。
そんな浪路の気持ちを汲んでか、吹雪がフォローを入れる。
「そんなことないわよ。一緒に暮らし始めて数日は、大変だったんだから。
『母親』だったあなたがそばに居ないからって、ギャン泣きばかりして。私の方が実の身内なのに、悔しくてたまらなかったわ」
「そっかぁ…」
雪彦はまだまだ赤ん坊だ。この先成長して、自分のことなど忘れてしまうだろう。
だが今はまだ、記憶の片隅に自分が住まわせてもらえているのだと、少し嬉しく思った。
「さ、上がってくれ。玄関先で話すのも暑いだろ。冷たいお茶入れるよ」
部屋に烏丸姉弟を招き、エアコンを強めに入れる。
吹雪がいるだけで涼しいのは確かだが、少しでも部屋を涼しくしてあげたほうが、彼女の放冷の負担も減るであろうと考えたうえでの配慮である。
「それにしても、突然どうしたんだ?雪彦を引き取っていってから、全然連絡なかったのに」
そう問われた吹雪は、少し困ったような表情を浮かべながら、よく冷えたアイスティーを口にする。
「……そうね、あなたのところに来て、解決するかどうかなんてわからないのだけど。
でも、色んな人外種族がいたり、変な奴ばかりいる会社にいるあなたならもしや、と思ってね」
「変な奴……否定できないのがなんとも」
普通のOLから人外妖怪奇人変人、何者でも千客万来のねぎ秘密結社。浪路のいる会社はそういうところである。
「ちょっと、気になることがあってね……」
「気になること?」
「最近、会社で何か変化はあった?……具体的には、雪彦に関する何かで、変わったことは?」
「えぇ?雪彦に関する……って、雪彦は今は休職扱いだし、仕事が回ってくるわけもなく、逆にクビになったりすることもねーし」
赤ん坊になってしまった雪彦に、会社が何かするはずもない。
まして”赤ん坊になってしまった”なんて事実は一部の人間しか知らず、ほとんどの社員は本当に休職していると思っている。
「雪彦がね……時々、すごい求めるのよ。会社の方角に行きたがるの。
最初は一過性のものだと思って、放っておいたんだけども。
もう、何週間も続くんだもの。さすがにおかしいと思って」
「え、それって……もしかして昔の記憶が戻ってきてる……ってことか?」
「そうかもしれないけど……会社の方を指さして、しきりに……『エーコ』って言うのよね」
「………エーコ………?」
もしかして、生まれ変わる前に恋人同士だった長谷川恵莉のことを思い出したのだろうか?
浪路も吹雪も、真っ先にそうは思っていた。
(しかし、恵莉……エリ……エーコ……?なんだか、しっくりこないな)
その頃、ねぎ秘密結社・情報システム部では。
「ん~~~………やっと、おひるやすみです。
きょうは、あまりお仕事がなくてひまなので、じかんがたつのがおそいです…」
昼休みのチャイムを耳にすると、長谷川恵莉は大きく背伸びをして席を立った。
「おう、やっと昼休みか。そういやまだ来てねーなー。まいっか。便所」
何かを心待ちにしている様子の部長・遠山 満は独り言を漏らしながら離席した。
(遠山ぶちょう……なにかを待っているんですかね?浪路せんぱいは、きょうは有休ですし……)
「しっつれいしま――――――す!!」
静かになった情報システム部のオフィスに、静けさを打ち破る元気な挨拶が舞い込んだ。
「こ……こんにちは、すみません、いまだれもいなくて……」
声の主は、おどおどした様子で応対する恵莉を目の当たりにすると……
「・・・・・・・」
彼女を、まるで十数年ぶりに会う家族、もしくは恋人のような……
愛しい人を見るような、切ない瞳で見つめている。
「あっ……あの?」
恵莉が怪訝そうに声をかけると、しまった!と言わんばかりに首を勢いよく振って、仕切り直す。
「あっ!……なんか、ぼく背ちっちゃいし、自分と同じ目線で話せる人見て感動しちゃった!なんて失礼かなっ、ごめんなさい!
改めまして、遠山部長にお弁当の宅配を届けに来ました!購買部の烏丸恵彦と申しますっ!副業でお弁当屋もやっているので、どうぞごひいきに!」