お互いに伝えたいことはあったし、お互いに求めていることは、わかっていた。
ただ、お互いに最後の一歩を踏み出す勇気が、なかっただけ。
だが……照美は。
「……伝えたいことって、何かしら?」
あえて、とぼけてみせる。
彼が今まで照美のために頑張っていたというのなら、
最後の一歩も彼のほうから先に踏み出させるべきだ、と思ったからである。
「……ああ、あの……そ、その……ですね……
……………………………」
緊張で、まるで言葉にならない次郎。
顔はもう既に、耳の先まで真っ赤である。
(……仕方ないなぁ……もう)
ガチガチに震えて、まともな言葉すら発せない次郎を見て、
照美は苦笑いしながらため息を付く。
愛の告白くらい、彼のほうからしてもらいたかったのは山々だが。
(受身でばかりいても、仕方ないのは分かってたわよ……特に彼の場合はね)
先ほどの、ゆたかとのやり取りでもボヤいたが。
次郎は、やたら腰は低いし小心者だしニブいし、じれったい。
だが、それでも。
「昇進おめでとう。……課長になったんだから、もっと堂々としなさいよ」
凛として、かつ重みのある声で激励され、次郎は腰をシャキッと伸ばす。
「は、はいぃ!! す、すいませんっ!!!」
「自分が納得いくような、デキる男になるために、今まで頑張ってたんでしょう。
ずっと前から何度も言ってるでしょ。もっと自分に自信持ちなさいよって」
「……は……は、はい……」
照美は、自分の一挙一動にびくびくする次郎の前に、一歩近寄る。
「……なんて、こんなとこで説教じみたこと言ってもしょーがないか。
あなたならきっと、社長になったとしてもずっと人に頭下げてるんでしょうね」
嫌味のような一言が、次郎の心にグサリと突き刺さる。
元々ない自信が、どんどん削げられていく。
「でも…………
どんないい結果出ても、それを鼻にかけずに常に努力しようとしてる。
……そういうあなただからこそ、あたしは、好きになったのかもしれないけどね」
「…………!?」
がっくりと項垂れていた次郎は、照美の言葉に耳を疑った。
「……て、て、照美さん…… !? い、今……」
「……ははっ……あーあ。やっぱあたしから言うことになっちゃうのかぁ~。
悪いけど二度は言わないわよ!
…それより、泉君があたしに伝えたいことって、なんなの?」
「!!!」
いたずらっぽく笑っていたかと思えば、いきなり真剣な瞳で見つめられ、
またもやどぎまぎする、次郎。
緊張の硬直の無限ループ。
「……わかった。特に伝えたいことがないんだったら、あたし帰るから」
そう冷たく言い放ち、次郎に背を向けて歩き出そうとする照美。
その瞬間、次郎はとっさに照美の腕を掴んでいた。
「…痛っ…」
思いもよらぬ握力の強さに、照美は少々驚く。
「……ぼ、僕、照美さんのことが好きなんです!
僕…こんなですけど、6歳も年下だし特にいい男でもなんでもないですけど…!
ずっと……あの、父の還暦パーティーのときから、ずっと……!」
今までどもっていたのが嘘のように、思いのたけを吐き出した次郎。
照美の腕を掴む手のひらは、汗だくである。
「……痛い。」
「!? ………うわぁぁっ! す、すいませんっ!!!」
「……そんな、強い力で捕まえたくなるほど、あたしのこと求めてるくせに
なんで肝心の一言を言うまでそんなに時間がかかるのよ……」
「……は、はい……すいません……」
「あたしを好きになったのは、『部長』だから?6歳年上だから?」
「い、いえ!そんなことは…ないです!」
「だったらあたしも同じなの。あなたが年下だろうが課長だろうがヒラだろうが関係ないの。
……あたしは、泉 次郎だったらなんでもいいのよ」
「照美さん……」
「………そういえば、昇進お祝いあげてなかったわね」
「!?」
緊張でまだ固まっている次郎の胸に、照美はそっと寄り添った。
「て、ててて、照美さん!?」
「昇進のお祝いに彼女がハグしてやろうってんじゃない。
それとも何よ、これだけじゃ足りないっていうの?
……その先も、欲しいの?」
上目遣いで何かを求めるように見つめてくる、この上なく愛おしい照美との『その先』。
恋愛経験がまるでない次郎にとっては、はっきり言って未知の官能の世界。
一瞬でも妄想しただけで幸福感で倒れそうになる。
「……ま、今はまだ無理でしょうね。今はこのくらいで十分でしょ」
次郎との、初々しくも甘いひと時を過ごしながら。
この先、次郎の奥手には苦労しそうだと思った照美の脳裏に、ある一計が思い浮かんだ。
翌日。
「あらやだ、思ったより腫れてるわね。申し訳なかったわ」
「あははー…☆」
誰もいない倉庫に、ゆたかを呼び出した照美は、
自分が叩いた彼の頬の腫れ具合に驚き、謝罪する。
「その顔じゃ営業行けないんじゃない?」
「まぁ…☆ 吉村部長公認の名誉の負傷なんで、問題はないですよ☆」
「吉村部長公認?」
照美のツッコミに、ゆたかは『しまった☆』という顔をする。
笑って済まそうにも、ついうっかり悟史の名前まで出してしまった以上、
ごまかしようがない。
「あの……その、実は……南十字部長に迫ったのは、部長命令だったんですよ☆
煮え切らない泉課長と南十字部長に揺さぶりかけろって、吉村部長が…☆」
「……えええええ…… !?」
「あ、ちなみに☆ 昨日オレと部長が社員通用口ふさいでた間、
クリスさんが『通用口の鍵が壊れて通れないので来客用玄関から帰ってください』、って
帰宅する社員さんを誘導してたんですよ~☆」
確かに、今冷静に考えてみれば、終業時間直後に誰も通用口を通らなかったのは、おかしい。
「どんだけお節介なのよ営業部…!
……まぁ、終わったことはもうどうだっていいわ。問題は『これから』よ」
吉村悟史営業部長をはじめとする、営業部のお節介連中にため息を吐きつつも、
照美はゆたかの前に仁王立ちして、腕組みした。
「そ……そういえばオレに何か用があって、呼んだんですよね?」
「そう。あなたを呼び出したのはお願いがあったからよ。
あなた、いま彼女いたりとか、好きな人いたりするの?」
「??……今は特にいませんけど☆」
「なら、『あたしを好きになりなさい』!」
「はあぁ――――――!?☆☆☆」
照美の突拍子もない『お願い』に、さすがのゆたかも倒れそうになる。
「え、えと☆ 南十字部長? あの、泉課長とお付き合い始めた……んですよね?☆」
「だからよ。晴れて恋人同士になったってのに、彼ったら相変わらず敬語だし
すぐ『すいません』って言うしメールはビジネスメールだし、
このままじゃいつ結婚できるかわかったもんじゃないわ」
「結婚……昨日付き合い始めて、もう結婚のこと考えてるんですか……☆」
「あったりまえでしょ!!! あたしあと2年で30なんだからね!時間に余裕はないのよ!!
そこで、あなたに昨日みたいにあたしにガンガン迫る『フリ』し続けて欲しいのよ!
そしたら、モタモタしてたら榊君にあたしを取られちゃう、
って泉君も焦ってくれるはずでしょ」
「えええ~~~……? そんなことしてたらオレずっと彼女できない……」
「黙れ!! 女を騙した上に泣かせた代償は大きいんだからね!
そのくらいのことやってみなさいっての! あんた役者でしょ!?」
「さっき、『終わったことはどうだっていい』
って言いませんでした―――――!?☆☆」
何よりも重い、結婚を賭けたアラサー女子の執念に、ゆたかの叫びは空しくかき消される。
営業部の全力のお節介で、晴れて一組のカップルが誕生したものの、
彼らが結婚するまでは、ゆたかの苦労は続くことになるのであった。
(おしまい)