[小説]正義が禁忌を犯す時(1)

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それから数日後。

時計は5時。終業を知らせるチャイムが鳴り響く。
それと同時に、関口結佳は席を立った。
「すいません…それじゃ、お先に失礼致します。」
素早く机上を片付けると、結佳はそそくさとその場を去った。
「関口さん、ここのところ毎日定時で帰るね。」
「まあ仕事が無いんなら別に残業しなくてもいいんじゃないか?」
庶務課の高橋和尋と榎島歩は口々に言う。
結佳は仕事熱心で、いつもなら毎日必ずといって良いほど残業をしていた。
高橋の言う通り、残業をするほど仕事がないのなら帰っても文句は無い。
だが結佳の机には、処理し切れていない書類が日に日に増えていた。
「きっと関口さんのことだから、5時からは
『正義の味方、結佳仮面!』とかいって悪者を退治してるのかも!」

みはるが冗談交じりに言う。
「…案外、あり得るかも…
何かコスチュームとか作って着たりしてて。」

「関口サン、美人ダカラ『美少女仮面ユカリン』とかってのもイイかもしれマセンね♪」
総務部の面々が結佳をネタに会話を繰り広げていると、
「おい、君達。もう終業時間は過ぎたんだから、仕事が無いのなら帰り、
残業するなら残業届を出して、仕事をするように!」

総務部長代理・奥田早瀬の厳しい言葉が飛ぶ。
『は、はぁ~い…』
早瀬の言葉にビクつき、恐る恐る返事をする総務部一同。
その時。

 ピ~ピロリ~ピロピ~ピロリ~♪

どこからか携帯の着信音。
「あ、俺か…」
音の発信源は早瀬の携帯電話。
どうやら電話ではなくメールの着信音だったらしい。
メールを一目見て、早瀬は少し苦笑いする。
「奥田部長~、もしかして彼女からッスか?」
高橋の発言に、みはるが目を丸くして驚く。
「えぇぇぇえっ!!!??奥田さんて彼女いるのぉっ!?」
「そ、アッシ知ってますよ。前に聞いたから。確か名前は…」
「高橋っ!!」
名を口にされる前に、早瀬が止めに入る。
「……菊地八重子さん……」
「そうそう、八重子さん……って、あれ!?」
早瀬が高橋に気を取られているうちに、
人とも思えぬ素早さで、みはるが早瀬の携帯を奪い、着信履歴をチェックした。
「え~~ん、かっこいい奥田さんに彼女がいたなんてぇ~~…」
「っていうか人の携帯の着信履歴を勝手に見るんじゃない!!!(汗)」
慌ててみはるから携帯を奪い返す、早瀬。
「部長も今日は定時で帰らないといけないッスね~」
「いいなぁ~八重子さん…こーんなステキな人が彼氏なんて!あーあ、悲しいよぉ~」
「い、いいからお前達も早く帰れっ!!!」

「みはる…ホンキで悲しんでマスね。コレじゃ大島サンも浮かばれないデス。」
「クリスさん、『浮かばれない』って言葉は死んだ人に対して使うんだよ。」
てんやわんやする早瀬たちを暖かく(?)見守るクリスと歩であった。

午後9時。

人気のない路上の、ある電柱の影に一人の女性の姿。
結佳である。
「あ、雨…」
夕方は晴れていたものの、徐々に雲行きが怪しくなり、
雨がポツポツと降り始めていた。
「傘…持ってないし…どうしよう…
………ううん、このくらいじゃめげませんわ!!」

結佳は、手には木製バットを構え、ポケットには催涙スプレー、
カバンの中にはロープやらガムテープやら、
物騒なものがたくさん詰まっていた。
結佳は、時々人が通るたびに、目を凝らしては、その人を観察する。
どうやら誰かを待っているようなのだが…
結佳の目当ての人物は、一向に通る様子は無いらしい。
「…5月とはいえ…夜になると冷えますわね…」
バットを地面に置き、両手に息を吐きかけ暖める。
雨は徐々に強くなってきた。
「雨が……やっぱり帰らないとまずいかしら…… でも……負けないんだから……
この間は隣町で遭ったんだから…次はきっとこの辺りで…」

誰に言うわけでもない、自分に言い聞かせるように、
結佳はその場を離れようとしない。

しかしその瞬間、結佳の目の前は
一瞬にして真っ暗になった。

「全く……八重子の奴……」

午後11時。
大雨の降る中、早瀬は細い路地に車を走らせていた。

終業直後、携帯メールにて、
恋人・菊地八重子に呼び出された早瀬は、
あの後すぐに会社を出て、指定された場所へと車を走らせた。
すると彼女の呼びつけた理由とは、単に
『買い物しすぎて荷物が持ちきれないから迎えに来て』
ただそれだけだったのだ。
しかも行ってみれば、いたのは彼女一人ではなく、
彼女の友人数人がおり、その友人達を全て自宅まで送り届ける
云わば紛れも無い『アッシー君』とされてしまったのである。

恋人・菊地八重子と付き合い始めてから、もうすぐ一年になる。
八重子は大学時代からの友人で、
恋人同士になったきっかけは、一年前に以前勤めていた会社が倒産し、
職を失い途方に暮れていた早瀬を八重子が慰めたことから。
それから数ヵ月後にN.H.Kに再就職してからも、ずっと交際を続けている。
しかし、八重子はかなり我がままで自分勝手な性格で、
早瀬のことはハッキリ言って『ベンリ君』扱いである。
(……俺は何をやってるんだろうな……)
早瀬は、八重子との関係に、このところ少々疑問を抱き始めていた。

細い路地の十字路を、一時停止して慎重に通り過ぎる。
雨が酷く、視界が悪いので気をつけて運転しないと
歩行者等がいた場合、事故になりかねない。
再度、アクセルを踏もうとしたその時、
前方にある街灯の下に、何かがうずくまっているのが見えた。
「あれは………人、だよな……?」
早瀬はその付近で車を止め、その人のところに歩み寄る。
近くまで寄って、早瀬はその人が自分の見慣れた顔であることに驚愕した。

「……おい!しっかりしろ!!!」

「……ん……?」
どのくらいの時が経ったのだろうか。
結佳は重たい瞼をゆっくりと開いた。
その瞬間、結佳の頭に激痛が走る。
「……っ!!」
痛みと共に、息苦しさも同時に感じられた。
(な……何……何が起こったの……!?)
頭の痛みをこらえながら、結佳は周りの状況を確認する。
結佳の体を包むのは、柔らく暖かい毛布。
震える手を目の前にかざすと、見覚えの無いセーターを纏っているの分かった。
視線を遠くに移すと、自分が横たわるのは見覚えの無い一室。
(わたし……確か、あの路地でずっと見張りをやっていて…
それから、雨が降って…目の前が真っ暗になって…それから…)

「…ああ、目が覚めたのか。」

突然、結佳の耳に飛び込んできた、聞き覚えのある声。
声を出しただけで痛みが響く頭を手で押さえながら、
震える声を搾り出す。
「……え……?おく…だ、さん…?」

「全く、あんな大雨の中…俺が見つけなかったらどうなってたと思うんだ…
……まあ、今は小言は無しだな。気にしないでゆっくり休むといい。」

ここはどこなのか。
この頭の痛みは何なのか。
どうしてここに自分の上司、奥田早瀬がいるのか。
知りたいことは山ほどあったが、絶え間ない頭痛と気だるさで、
結佳の意識は再度、遠のいていった。

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