結佳は、夢を見ていた。
…
「結佳ちゃん……お父さんとお母さんはね、亡くなられたのよ。」
「なくなった?どこにいっちゃったの?」
「遠い…お空に行ったのよ。うんと遠いところへ…」
「なんで?どうして!結佳をおいてどこいっちゃったの?」
「……………」
「ひどいよ!結佳もお父さんとお母さんといっしょにいく!!」
…
「犯人は……まだ捕まらないんですか!」
「申し訳ありません…我々も最善を尽くしているのですが…」
「これでは…残された結佳ちゃんが可哀想過ぎます…」
「まだたったの4つなのに…一度に両親を亡くしてしまうなんて…」
「あの子、あれからずっと何も話さずに…ショックによる自閉症ですって…」
…
「結佳ちゃん、今日から私たちが結佳ちゃんのパパとママよ。」
「……………」
「本当のパパとママだと思って、甘えていいのよ。」
・
・
・
・
・
「…おい………おい、大丈夫か?」
あまりにも重く、暗い夢の淵に。
現実の輝きを感じさせる落ち着いた声が届く。
「……え……?」
ゆっくりと意識を取り戻す、結佳。
窓の外は、うっすらと明るい。
いつの間にか朝になっていたようだ。
「寝ている所を起こすのも悪いかとも思ったんだが…
大分うなされてたから…」
さらに意識がはっきりしてくると、自分の頬が涙で濡れていることに気がついた。
「ご、ごめんなさい…」
泣き顔を異性に見られて、気恥ずかしくなってしまった結佳は顔を赤くして謝る。
「何も謝ることでもないだろう。」
先ほどは頭が混乱していたが、少し休んだせいか、
前よりは頭の痛みも治まり、息苦しさも弱まった。
しかし、まだ意識は朦朧としている。
「…あ…あの…ここは……」
「ああ、俺の自宅だ。」
「…えっ…?」
この場に早瀬がいるのだから、それが一番妥当なのだろうが、
初めて連れてこられた意外な場所に、結佳は驚く。
「俺は君の家を知らないし…
君の家に電話して、送っていこうかとも思ったんだが、
電話しても誰も出なかったんだ。それにあの大雨の中…
放っておく訳には勿論いかないし、仕方ないだろう。」
あの雨の中、偶然通りかかった早瀬が助けてくれなかったら、
命にだって関わったかもしれない。
結佳は、恩人である早瀬に素直に感謝した。
「…父は…仕事の都合で自宅には帰りませんし…
…今、妹が入院してるので…母はその付き添いで家にいないんです…
本当に、ご迷惑をおかけ…しました…」
(……入院?)
何か怪我か病気でもしたのだろうか?
そう思って尋ねようとした早瀬だが、
今の状態の結佳に説明させるのは酷と思い、それ以上は口にしなかった。
結佳は、いつまでも上司の家で横たわっているわけにもいかない。
そう思い、とっさに起き上がった。
しかし同時に、めまいを起こしふらついてしまう。
ベッドから落ちそうになる結佳を、早瀬は両肩を掴んで支える。
「無理をするんじゃない!…いいから、気にしないで休め。」
意識ははっきりしてきたが、まともに行動するにはまだ静養が必要なようだ。
結佳は早瀬の言葉に甘えて再度、ベッドに横になった。
「今日は一日ここで寝てるといい。俺はそろそろ会社に行くから。
電話や冷蔵庫等は好きに使って良いから。合鍵も一応渡しておこう。」
そこまでしてもらっては申し訳なさ過ぎる、そう思った結佳だが
家族とも連絡が取れず、まともに動けないのであれば、素直に従うしかない。
「本当に……ごめんなさい……わたし…」
「気にするな」
そう言い残すと、早瀬は颯爽と玄関から出て行った。
・
結佳は、言葉に甘えて再度、眠りに付いた。
あの大雨の時から数時間、ようやく安息の場所を得た結佳は、
今度は悪夢にうなされることなく、ゆっくりと睡眠をとった。
目を覚ますと、時計は午後2時を示していた。
「……だいぶ、良くなったかしら……」
恐る恐る、ゆっくりと起き上がる。
十分に静養をとったせいか、今度はめまいは起こらなかった。
まだ多少だるさは残るが…
体力を取り戻した結佳は、ここに来て初めて、
自分が今までいた場所を一望する。
奥田早瀬の部屋。
隅々まで掃除が行き届いており、洗濯物、本棚等もきちんと整頓されている。
住む人間のの真面目さと几帳面さをそのまま表したような部屋。
そこで洗濯物を目にして、結佳はハッとした。
自分が着ていた衣服は…?
考えてみれば、この見覚えのない男物のセーターを自分に着せたのは…間違いなく彼であろう。
濡れた服を着せたまま寝かせるわけにはいかなかったのは分かっている。
だが、一糸まとわぬ姿を見られたかもしれないと思うと、
結佳は一気に耳の先まで真っ赤になった。
「や、やだ……
で、でも、仕方ないですわよね…事故だったんですもの…」
言い聞かせるように言うと、結佳は部屋に干されていた自分の服に手を伸ばす。
その時、ふと部屋に置かれた一つの写真立てに気がついた。
写真の下方に、小さく覚書があった。
2000.10.7 浜名湖にて、八重子と
写真には一組の男女。
普段、仕事場では見せたことのない笑顔の早瀬と、
隣に寄り添う華奢な女性。
「恋人……ですわよね……」
結佳は、みはる同様、早瀬に彼女がいることをこの時まで知らなかった。
別に、早瀬に彼女がいることはおかしいことではない。
だが、どことなく感じられるこの複雑な感情は何だろう?
しかし、特に深くも考えず、とりあえず写真を元の位置に戻すと、
結佳は着ていたセーターを脱ぎ、元の服に着替える。
そして一枚のメモにお礼の言葉を一筆書き、テーブルの上に置いた。
「わたしには…まだ、やることがありますわ。
こうしてる間にも……また、和子のような被害者が……」
結佳はうわ言のようにそう呟くと、ふらつく足を無理やり動かし、
足早に早瀬の自宅を去っていった。