[小説]最期の恋(4)

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「おはよう」

三日間、突然の欠勤をしていた夜半が国際部に顔を出した。
「あら部長♪三日も休んでどうしたんです?お布団から出れなくなったんですか?」
休んでいた事を特に気にもせずに椎子が問う。
「いやちょっと出かけててね。これお土産」
そう言って夜半が机の上に広げたのは…
青森産のリンゴジャム、リンゴまんじゅう、そしてにんにくラーメン。
広げられたお土産を、中原幹雄がしげしげと見つめる。
「どれも青森名物……部長、青森に行ってたんですか?」
「まぁね。にんにくラーメン美味しかったよ」
「にんにく平気なんですか…」
「あたしこのリンゴジャムもらおうっと♪うふふ♪
あ、そうそう、部長いない間、購買部が大変だったんですよぉ♪」

「だった、っていうか現在進行形で騒ぎにはなってますよね…。
そうじゃなくても忙しい部署なのに、突然一人減っちゃって…」

「減った?」
「烏丸君が、突然会社を辞めて行方不明になってしまったんですよ。
噂によると、何か重い病気になったとかって話ですけど…
実際のところよく分からないみたいです。
自宅に行っても、既に引っ越した後で…まるで夜逃げみたいに…」

雪彦が理由が明確でないまま行方不明。
住んでいたマンションも引き払ったとなると…。
やはり寿命が予想よりも早く尽きかけてるのがわかり、田舎へ帰ったと考えるのが妥当か。
だが会社にはさすがに「死にそうなので辞めます」とは言えないだろう。
…例の『彼女』には、別れを告げたのだろうか?
夜半は、それほど興味がないような振りをして、椎子たちに問う。
「そうなのかぁ。そういえば、彼は付き合ってた娘がいたよね。その娘はどうしてるんだい?」
「あー…システム部の長谷川さんですか。何か一方的に振られてしまったようで…
余程ショックだったのか、しばらく休みますって連絡が来たみたいです。
でも彼女は携帯に電話すればすぐ連絡取れたようですし、行方不明ではないですよ」

「…しばらく休むのか…」
夜半は、雪彦に『そんな度胸』はないと確信はしているのだが、一抹の不安を覚えた。
「案外、彼を追っかけて彼の田舎に行ってたりして!若い二人が駆け落ちってロマンよねっ♪」

(まさか……ねぇ……)

青森県のとある山奥。
先日、夜半が足を踏み入れた…雪深い山の奥深くに、人知れず、小さな小さな集落がある。
そこが、雪彦の故郷。
「……かえって、きちゃったな……」
「そうよ、私たちが生まれたところよ」
雪彦は姉に肩を借り、歩くのがやっとのところまで弱っていた。
リミットが、思いの外すぐそこまで近づいているらしい。
(……恵莉ちゃん……)
雪彦は、恵莉への別れのメールを送信した後に、生きる力の源を失ったかのように、
急激に衰弱していったのだった。
マンションで能力を暴発させた後に溶けかけた身体の一部は、元に戻ることはなく
脆く溶けかけたままであった。もう、回復する力も残っていないようだ。
「まさか…こんなに急に弱っちゃうなんて思わなかったけど…仕方ないわよね…。
さ、私たちの『母さん』である…山神様に会いに行きましょう。……そこできっと、山神様が楽にしてくれるわ」

雪女族の男が死ぬ時に何をされるのか、どうなってしまうのかは、雪彦は知らない。
ただ、姉の一言で…自分に本当に最期が訪れようとしているのだけは分かった。

「山神様。吹雪です。雪彦をお連れしました。どうかお姿をお見せ下さい」
吹雪が、集落の奥深くの森で、凛とした声で呼びかけた。
一瞬、ものすごい突風が吹いたかと思うと、姿はないものの、『何か』の気配が現れた。

 …来たか。天命を全うしようとしてる男よ

「……山神……さま……」

 …………

「……うっ……」

 …このような運命であることは、雪女族の男として生まれた時から知っていたであろう

「………う……」

 …何故、そのように泣く?

雪彦は、苦しみながらも、瞳から止まることのない涙を流し続けていた。
山神が言うように、自分が若くして死ぬことは納得していたし、どうでもよかった……
……恵莉と出会うまでは。
彼女と過ごした日々が、幸せすぎて…脳裏に彼女の顔がよぎるだけで、涙が出た。

「…恵莉ちゃん…」

 ……お前は、人間に恋をしたのか

「……すいま……せん……」
人間との恋は禁じられているわけではないが、雪彦は何故か謝ってしまった。
自分と同じ人生を歩むことができない、別の種族の者との恋。
その事実だけで、自分が何か禁忌を犯してしまったような気持ちになった。

 …雪女族の男が人間に恋をしたことは、今までに幾度となくあった

「…………」

 …その恋した相手が、自らの寿命を引き延ばす唯一の法であることを、知っていても

「……ぼくには……できません……」

 …あまりに過酷な条件故、実行できた男は一人とて居ない。無理強いはせん

「……はい……」

 ……では、覚悟は良いか。雪彦よ。お前は今日でその『仮の姿』の天命を終える

「……仮の…姿……?」

 …雪女族の男が死ぬというのは、人間と同じ外見の仮の姿を無くすと言うことなのだ

「……え……?」

 …その姿はもう保てまい。お前はこれから真の『雪男』となり、我のしもべとなり山を護る存在となるのだ

「烏丸さん――――――!!」

雪彦が、山神の力で光に包まれようとしたその時。
ここでは聞けるはずもない、愛しい『彼女』の声がした。
声のした方向を見ると…千里眼の能力を駆使して追いかけてきた恵莉の姿だった。
「……そん……な、まさか……」
すぐに恵莉の元へ駆けつけたいが、衰弱しきった体が動かせるはずもなかった。
「神聖な儀式を汚す者め!立ち去れ!!」
侵入者とみなした吹雪が、恵莉を目がけて雪玉の雨を降らす。
「うぉぉっ痛てててて!」
恵莉をサポートするために付き添ってきた浪路が、とっさに恵莉をかばった。
「人間が……ここまでやってくるとは…一体なんだっていうの!?
……まさか、雪彦…あの娘が例の彼女?」

苦しみながらも、黙ってうなずく雪彦。

 …愚かな…自ら命を捨てに来たようなものだな

「…わ、わたしっ……か……雪彦さんが、ちかいうちにしぬのは、わかっていたつもりです。
……で、でも……なんで、ちゃんと……あんなメールでなんてなっとくいきません!」

感情的に叫ぶ恵莉に、吹雪が冷ややかに口を挟む。
「わざと冷たくして引き離そうとした、雪彦の気持ちを汲むことができなかったの?
だから愚かだっていうのよ。」

「……で、でも……」

 …これから雪男となるこの男の目前に自ら姿を現してしまったこと、後悔するが良い!

――――― …………

その瞬間、山神から放たれた光が、一瞬にして雪彦を包み込んだ。
光は、大きな球となって雪彦を包んだかと思うと、ゆっくりと縮まり、最後に消えてなくなった。
「烏丸さん――――――!!」
その光で、雪彦は消滅した……と思われた。

……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………

「うわ、ちょ、な、なんだ?地震…?」
地震が苦手な浪路は、すぐそばにあった樹木の幹にしがみつく。
しばらくすると、地鳴りと共に雪面から巨大な何かが現れた。
”グオオオオオオオオオ………!! ”
体長は3メートルは軽くあるであろう、深い毛に覆われた『怪物』が、誕生の雄叫びを上げた。
「……これが、雪男……?」
これが雪彦の第二の人生の姿であることが信じられない浪路は、びくびくしながら樹木の陰に隠れる。
「……烏丸、さん……」
普段恐がりであるはずの恵莉は、変わり果てた雪彦の姿を見ても…
雪彦であることには変わりはない、そう思って、『雪男』の前に立ちはだかっていた。

『雪男』は、辺りを見渡し…
…すぐに、侵入者である恵莉と浪路の方に視線を向けた。
「……わたしが、わかりますか……?」
瞳に涙を浮かべながらも、恵莉は『雪男』から目を逸らさなかった。
『雪男』が、一歩一歩、恵莉に近づいていく。
「……烏丸さん……!」
恵莉は、雪彦が自分だと分かってくれているのだと、嬉しくなった。
だが……その瞬間。

『雪男』は、恵莉の首もとを殴りつけた。

「恵莉!!」
無惨にも気を失ってしまった恵莉を、大きな爪のある腕で軽々と持ち上げる、『雪男』。
「ちょ、烏丸!何する気だ!!」
愛しいはずの恵莉を容赦なく殴り、浪路の声にも耳を貸さない。
山への侵入者を排除する、凶暴な怪物以外の何者でもない『雪男』――――

「あー、ちょっと遅かったか…」

緊迫した状況に割り込んできた、少し間の抜けた声。
「し、白鳥さん!? なんでここに!?」
「まぁ説明は後でね。というか君らがここに居ることの方が驚きだよ。
…それより…」

夜半は、気を失った恵莉をつまみ上げて抱きかかえている『雪男』の方に目をやった。

「話には聞いていたけど…随分と変わったものだね」
『雪男』は、夜半の声に聞き耳は立てているものの、
自分の手の中にある恵莉をじっと見つめたまま、放さない。
「『雪女族の男は、相思相愛である女の身も心も…
…命も手に入れることができたなら、死なずに済む』んだっけね。だが…
その姿になってからでは、何もかも手遅れ。
理性を失い、相手の女もただの『食う対象』にしかならない」

「あら、良く知ってるわね。…それを知らずに乗り込んできた彼女は、ああなってるわけだけども」
淡々と語る夜半を、感心した様子で口を挟む吹雪。

 …その通りだ。その者は既にこの山を護る存在でしかない

「…何も知らずに、何の悪意もなくやってきた人まで排除するってわけかい」

 …この世には、人間が踏み入れて良い場所と悪い場所があるのだ

「だったら……表札でも立てて置けと言っただろう!」

 ドスッ!!

夜半は、珍しく少しだけ声を荒げたかと思うと、
『雪男』に目がけて手をかざし、足下に氷柱を突きつけた。

”グオオオオオ!! ”

『雪男』は、その巨体をよろめかせ、尻餅をつくが、抱きかかえた恵莉を放すことはなかった。
「烏丸君。君は多少自分の姿が変わっただけで、
一生掛けて幸せにしたかったはずの彼女は『食べ物』になってしまうのかい」

”グルル…… ”

「君の覚悟って、そんなもんだったのか」

 …その者は、もう仮の姿であった時の記憶などない。生まれ変わったのだからな

山神が嘲笑う。

「………
君が烏丸君と別人だというなら……悪いけど、容赦なくやらせてもらうよ?
彼女が殺されることは、烏丸君が望まないだろうからね」

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