[小説]最期の恋(5)

小説/本文

”グォアアアアアア…!! ”

転ばされた『雪男』は、視線を夜半に向け、怒りを露わにした。
まずはお前から食ってやると言わんばかりに、抱きかかえていた恵莉を手元から落とした。
「ぅお…っ!」
すかさず浪路が駆け寄り、抱えて木陰へと運び出す。
「…う……」
「…良かった、ちゃんと息はしてる…。気を失ってるだけみたいだ…
しかし…ホントにあのバケモンは烏丸なのか…?」

浪路の、誰に問うわけでもない呟きに、夜半が返す。

「烏丸君なんだろうけど…烏丸君じゃない。
でもあれが烏丸君だって言うなら……俺は人殺しになっちゃうのかな」

 …山の護り人である雪男を、そう簡単に殺せるものか
…吸血鬼ならば昼間である今は大した動きはできまい

「…………」

 …山の神の力を…雪男の力を舐めるでないぞ!その恐ろしさを思い知るがいい!

”グァアアアアアア!!! ”

巨大な体が、信じられないスピードで夜半との距離を一気に縮める。
大きな腕と爪が、空高く振りかざされ、夜半を斬りつけた―――――
かに見えた。

”!? ”

斬りつけたはずの夜半の姿はなかった。
慌てて首を左右に振り、敵の位置を確認しようとする『雪男』の、振りかざした右腕に…
…一筋の閃光が走る。

”グホァァァア!! ”

「まさかあの日俺がくっつけてあげた右腕を、また俺が斬ることになるとはね」
『雪男』の、相手を斬りつけるはずの太く大きな右腕が、無惨にも切り落とされてしまった。

”グ…グルルルル……グアァァッァアア!!! ”

右腕を失ってもなお、一心不乱に襲いかかってくる『雪男』。
左腕を振り回し、猛吹雪の息を吐き、なんとか一撃を与えようとするが…
空間移動を駆使して、夜半は全ての攻撃をかわしていた。
「遅いよ」
がむしゃらに攻撃してくる『雪男』を嘲笑うかのように、
夜半は『雪男』の頭の上に立ち上がった。『雪男』は、夜半の動きに付いていけず既にヨロヨロであった。
「…まいったなぁ…見込みなしか」

 ……何故だ……昼間の吸血鬼が何故こんなにも強い…?

「吸血鬼の真祖の力を舐めないで欲しいね。太陽なんか関係ないし、
その気になれば四肢を切り落とされたって死なない自信はあるよ。自慢したくもないけどね」

 ……吸血鬼の真祖……だと……!?

「…ちょっと攻撃して、様子を見て、
もしかしたら元に戻る可能性が見つからないかなって思ったけど…
……駄目そうだね……」

驚く山神を傍目に、夜半は自分の足下にいる『雪男』に問いかける。
「…君も、そんな姿でいるのは、もう嫌だろう?」
夜半は『雪男』の頭から飛び降り、構えた。
『最期』の一撃を放つつもりだ。
「今、楽に……」

「おねがい、やめて――――――!!」

『雪男』の前に、気を失っていたはずの恵莉が立ちはだかった。
「おねがいします…!どんなすがたでも…烏丸さんは、烏丸さんなんです!
…人間でも…鬼でも悪魔でも雪男でも…なんになったって…わたしは烏丸さんがすきです…!!」

恵莉の、命をかけた精一杯の告白が、その場にいる者を全て沈黙させた。

”グルルル…… ”

大きな口から牙を剥きだし、涎を垂らし、今にもかぶりついてきそうな『雪男』に、
恵莉はなんのためらいもなしに、抱きついた。
「烏丸さんがのぞむなら、いいですよ。わたしのこと、たべてください。
おもうとおりに、ころしてください。」

”………… ”

「だから、ひとつだけおねがいです。
……あの、おわかれのメールは、なかったことにしてください。
わたしは……ずっと、あなたのそばにいたいです……」

”グ……グァウッ…!! ”

「……っ!!」
心の奥底に打ち付けられる、不思議な感情に抗うように…
『雪男』は恵莉の首から肩に噛みついた。

”グルルル…グゥ…… ”

巨大な牙は、恵莉の身体にどんどんのめり込んでいき…
恵莉の白いセーターがじわじわと赤く染まっていった。
「恵莉―――!!」
見ていられなくなった浪路が、駆け寄ろうとするが、夜半に制止された。
夜半も、いざという時は止めに入ろうとはしていたが…
恵莉の強い想いが何かを起こす気がしてならず、その想いに賭けていた。

「……だい、じょうぶです……烏丸さん、あなたのこと、すきですから……」

”………… ”

”……恵莉ちゃん…… ”

かすかに、雪彦の声が聞こえたような気がした。

その瞬間、『雪男』の身体が、目映い光に包まれたかと思うと、消え去った。
支えをなくした恵莉が、その場に倒れ込む。
「恵莉!! ……こりゃ酷い…出血が……」
「ちょっと貸して。頸動脈をやられてるかもしれない。治そう」
夜半が恵莉を抱え、回復魔術で治している間に、浪路は辺りを見回した。
先程、雪彦が『雪男』として現れた場所あたりに、何かが光っている。
「あれは………」

 …恵莉とやら… お前の、純粋で真剣な思いを受け止めた

先程までとは打って変わった、山神の穏やかな声が聞こえる。

 …雪女族の男が生き延びるには…その男に対して、身も心も、命も捧げる覚悟が出来た女が必要だった
…だが、雪男となってからは…その条件は意味がなくなるはずであった
…しかしお前の、雪女族であろうと雪男であろうと…
…どんな姿であろうと相手を愛するという気持ちに、効果があったようだ

「……え……?」
恵莉は夜半に抱えられ、横になりながらも山神の声の方向に視線を向ける。

 …お前の血を吸った『雪男』に…我が新たな生命を与えてやった
…雪女族として生き続けることも、雪女族として生まれ変わることもできなかったが…

「あれは……!」

 …何の力も持たない『人間』として生まれ変わることは出来たようだ

光っていた場所に、いつの間にか男の赤ん坊が寝転がっていた。
冷たい雪原に産み落とされた赤ん坊は、冷たさに反応して大きな声で泣き始める。
「おぎゃぁぁぁあああ!!」
「うおっ、冷たいのか!当たり前か…」
慌てて浪路がコートで赤ん坊を包んで、抱き上げる。

 …行け。せいぜいその赤ん坊が凍え死なないように連れて帰るのだな

「山神が命を与えた子供や、山神や雪女族の存在を知った人間をそう簡単に帰していいのかい」
夜半が、念を押すように問う。

 …何の力も持たない人間となった者の行く末など、我には関係のないこと
…それに…吸血鬼の真祖を味方に付けている人間が相手ではこちらも分が悪いのでな

「…まぁ、ちょっとやり過ぎたよ。済まなかったね」
実に平和的解決に導いた恵莉と違い、やや暴れ回った感が強かった夜半は
申し訳なさそうに頭を掻いた。

こうして、3人と……一人の赤ん坊を連れた一行は、東京へと戻った。

数日後、会社にて。
浪路と恵莉は、会社の全ての人間に、雪彦の死…そして再誕までの経緯を全て話した。
そして今…目の前には。
すやすやと心地よさそうに寝息を立てている、赤ん坊がいる。
「これが……烏丸なんか……? マジで……」
「信じられないけどぉ…でも、髪の色が同じだよねっ!」
「まあ…生まれ変わって、良かったけど……誰が育てるの?」
事実上の『母親』であった山神は、種族が違うからと彼の管理を放棄している。
姉であった吹雪も同様であろう。

「そりゃー、恵莉ちゃんでしょっ!彼女なんだもん
何の悪びれもなく、愛子が言うと、視線が一気に恵莉に集中した。
「あ……あの……」
「烏丸は俺が引き取る」
恵莉が何かを言う前に、そこに口を挟んだのは浪路だった。
「な…浪路せんぱい…!?」
「恵莉も、お前らも忘れるなよ? 恵莉は烏丸の『彼女』なんだ。
間違っても母親になっちゃまずいだろ?」

「で、でも…浪路せんぱい…」
恵莉は、一瞬だけホッとした表情を見せたが、すぐに申し訳なさそうに浪路に言いかける。
浪路はそんな彼女の額を、軽く叩く。
「気にすんなよ。…お前はもう腹くくったんだろ?18歳年下の男の彼女になることをさ」
びっくりして目を丸くするが、黙って顔を赤くしてうなずく恵莉。
「烏丸さん……いえ、このこは……このこの人生があるとおもいます、でも……
……わたしは、ずっとずっと思いつづけようとおもっているんです。
また……すきになってもらえるように……」

自分が愛した烏丸雪彦という男は、もういない。
けど近い未来、必ずまた逢える。

(わたし……まってますね、雪彦さん……)

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