[小説]君に逢えて良かった(終)

小説/本文

奏子が居なくなってから、また昔のような無気力の日々が続いた。
卒論を書く気など当然起きず、大学を留年した。
その後何とか大学は卒業するものの、特定の職には就かず、適当に日給のバイトで過ごす日々。
僕は奏子に掛けて貰った魔法をすっかりと無駄にしていた。

その後、奏子の臨終に立ち会った医師らしき男―――久我恭一郎が、奏子の寿命を縮めたのだと
某ライバル会社にそそのかされ、彼に復讐する為にねぎ秘密結社に就職する。
もう、誰かを憎みでもしていなければ普通に生きていられなかった。

復讐も失敗に終わり、久我博士から真実を告げられ、諭された。
娘を手に掛けようとした僕を許してくれた、どこまでも懐が深い彼に付いて行く事を生き甲斐にしよう。
やっと、このねぎ秘密結社で生きる道を見いだせたと思っていたその時に………彼女は現れた。

「こんちわーーっス!久我さんいる?
おー、桐島さん。こっちに久我さん来てない?」

蔵石沙織。
大きな声、元気な笑顔。
見れば見るほど奏子にそっくりな……ひとつ年下の女性である。

久我博士に用事があるのか、突然研究室に舞い込んで来た彼女。
同じ社内に居るのは知っていたが、まともに顔を合わせたのはこれが初めてであった。
亡き妻に重ねて見て思うなど、彼女に対して失礼な事だと分かっていても…目を離すことが出来ない。
次第に僕は彼女を避け始めた。これ以上、彼女に対して夢を見ない為にも。
だが、鋭い彼女にすぐに気づかれてしまう。

正直に話してしまおう。
もう耐えられない。
彼女を見るだけで涙が溢れてくる。
限界だった。

「…あんたみたいな、心が綺麗で純粋な男、初めて見たよ。
………いいよ、今夜だけ。…あんたの奥さんになってやるよ。」

溢れる思いを、優しく受け止めてくれた彼女に対し、感情を抑えきる事が出来なかった。
許されたとはいえ、奏子との思い出に浸る為に彼女を抱いた。
最低の行為である。
しかし、彼女を抱いて初めて、妻を失った事を身をもって実感した僕は。
晴れない霧の中を彷徨っていた自分に、一筋の光が差したように思えた。

これが蔵石沙織との全ての始まりであった。

その後も彼女を目で追い続けていた。
だが、妻に似た女性だからという理由ではなく。
いつの間にか気持ちは…新たな光―――蔵石沙織に向いていたのである。

「あたしは幸せだから。上総もずっと幸せでいてね」

妻が最期に遺した言葉。
自分は人生ずっと幸せだったから、貴方もずっと幸せに過ごして欲しい。
そういう意味なのだと、今更ながらに理解した。

幸せになる為には、過去に生きていては駄目なのだと、知った。

「どうしたの?包丁持ってぼーっとしてるとケガするよ?」

料理の途中、包丁を片手に空を見つめていた僕は。
心配に思った沙織さんに声を掛けられ、気が付いた。
もうすぐ、奏子の命日。
それに気づいて思わず昔を思い出していたのだ。

紆余曲折あったものの、僕の隣には今、沙織さんが居る。

未来に不安も希望も無かったあの頃とは違い。
今では彼女との将来を色々と思い描くのが楽しくてたまらない。

今の自分があるのは奏子のお陰。
妻は僕の一生涯の目標であり心の支えである。
常に明るく前向きだった妻のような幸せな人生を、自分も送りたい。
「おーい。ちゃんと起きてるー?」
遠くを見つめたまま何も答えない僕の目の前で手をぶんぶんと振る、
今、世界で一番愛おしいひと。
彼女と幸せな人生を紡いでいきたい。そう願っている。

僕は刻みかけの野菜と包丁を置いて、彼女を抱きしめた。

END

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