ゆたかが京都に来て、初南賛の謎が明かされてから、一年が過ぎた。
初南賛が父に会いに上京すると、待ち合わせて一緒に映画を見たり、遊んだり。
離れている時は、Webカメラを用いたボイスチャットで、初南賛が演技指導をしたりしていた。
しかし何故か最近になり、ゆたかがあまり仕事の話をしなくなってしまった。
そういえば、あまりTVでも見かけなくなった気がする。
いつものように上京していた初南賛は、ゆたかと待ち合わせをし、喫茶店でお茶をすることにした。
「ゆたか、最近仕事の話しないけど、どうしたの?」
「…………………」
ゆたかの、いつもの自信たっぷりの、あの笑顔が消えている。
「……もしかして仕事、上手く行ってないの?」
「仕事……ない。来ないんだ。何も……」
「え……?」
「半年くらい前から、急に…。雑誌のグラビアも断られたり、
ドラマの出演が決まってたのに他の人に交代させられたり、売り込みに行っても何もかも断られる。
今までひいきにしてくれてたメーカーさんや番組まで……。理由を聞くと、誰もがこう言うんだ」
「なんて……?」
「『上』から言われてるので、お受けできません。すいません。って」
明らかに、強い力を持った何者かがゆたかの仕事の邪魔をしている。
姉は楽屋での『あれ』以来、着衣を乱しながら泣いて帰ることも、寝不足になることもなくなったが。
それと引き換えに、ゆたかから何かが奪われてしまったような気がする。
「ゆたか………」
初南賛は、笑顔を失い辛そうなゆたかを見て、何も出来ない自分がもどかしかった。
その時。
沈黙する二人のいる喫茶店の外で、カメラのシャッター音がひっそりと鳴った。
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”若手人気俳優・榊 ゆたか(16)、衝撃の喫煙現場激写! ”
そんな見出しの週刊誌が発売されたのは、それから間もなくのことであった。
コンビニでその週刊誌を見つけた初南賛は、愕然とした。
掲載された写真には、モザイクのかかった少年と向き合い、煙草を手に持つゆたかの姿があった。
(これ……僕じゃないか!あの時の喫茶店の……)
あの時に彼が煙草を吸っていないことなど、一緒にいた自分が間違いなく証明できる。
これは明らかに合成写真である。
ゆたかの携帯に電話しても、メールしても、一向に返事が来ない。
この記事に対する反響の対応に追われて、忙しいのだろうか。
それとも………。
居ても立ってもいられない初南賛は、自室の机の引き出しの奥にそっとしまってあった、
やや古びたメモ用紙を取り出した。
父、マイケルの携帯番号。
両親が離婚し、父と別れる時に手渡されたものである。
捨てずにはいたものの、使うことなど有り得ないと思っていた。
しかし、すぐに駆けつけることのできない京都にいる今、頼りに出来るのは父だけであった。
初南賛は、過去のしがらみやプライドを投げ捨て、友達のために父の携帯を鳴らした。
『……ジョ、ジョナサン!?』
幸いにも、マイケルはすぐに電話に出てくれた。
初めて息子から電話が掛かってきた事に、声だけで驚いてる様子が聞き取れる。
特に恋しいとも思ったことはなく、むしろ毎回苛立たせてくれたくらいの、父の声。
しかし今はそんなこと、どうでもよかった。
『もしかして、ゆたかの……』
「ゆたかは煙草なんて吸ってない!僕が証明する!一緒に写ってるの、僕だもの!
だからお願い、ゆたかを助けてよ!お父さん!!!」
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その後、ゆたかの所属事務所は『掲載記事は事実無根』と表明し、正式に否定したが。
『10代の人気アイドル役者が喫煙したかもしれない』と世間に知らしめてしまったことは
大きな痛手となり、ただでさえ減らされていたゆたかの仕事は全て……
『マイナスイメージになるから』と、断られたり、降板させられてしまった。
事実上の、芸能界追放である。
普段願い事などしたことがない、息子のたっての願いを叶えようと、
マイケルもあちこち奔走したのだが…
たとえ記事が嘘であっても、一度植えつけられた負のイメージは、拭い去るのは容易ではない。
ゆたかの役者としての将来は、完全に絶たれてしまったのであった。
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”喫煙報道”から一ヶ月。
あれから、初南賛も上京し、ゆたかを訪ねたが。
ショックがあまりにも大きく、部屋に閉じこもってしまい、会ってくれようとはしなかった。
ストレスから来る拒食症で、栄養失調になりかけてしまったゆたかは、
東京のマンションを引き払い、母親の実家のある北海道へと引っ越すことになった。
騒々しい東京から離れ、田舎でのんびりと暮らすことで心が癒されれば…という、
家族の願いからであった。
母親に支えられ、無言のまま車に乗り込む、ゆたか。
それを、初南賛、みのり、そして駆けつけたマイケルが見送った。
空港に向かう車が出発し、見えなくなったと同時に、みのりがその場に泣き崩れた。
「みのりさん……」
「……ごめ……ごめんなさい……ゆたかがああなったのは、あたしの…あたしのせいなの」
「どういう、事ですか」
みのりは涙ながらに、1年前、とある男からセクハラを受けていたところを、
ゆたかに助けられたことを話した。
だが、ゆたかが突き飛ばしたその男が、有名なプロデューサーであったことを明かし、
ゆたかから暴力を受けたこと、みのりから拒絶されたことを逆恨みして、
みのりへのセクハラを止める代わりに、ゆたかへ仕事の依頼が行かないように裏から圧力をかけ、
とどめに喫煙記事をでっち上げたのだという。
しかし、明らかな証拠もないし、何よりそれを暴露したところで自分も潰されるだけ、
と思ったみのりは、正直に話すことができなかったと、悔やみ号泣した。
「………ゆたか………」
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あれから2年。
世間では、かつて榊 ゆたかという役者がいたということなど、すっかり忘れ去られていた。
初南賛が、かつて天才子役として話題になっていたことなど、誰もが忘れ去っているように。
ゆたかは、北海道で元気にしているだろうか?
あれ以来、ボイスチャットはおろか、メールすらしないまま時は過ぎ、
気が付くと高校三年生になっていた。
2年前までは……大学は都内の大学を選び、
ゆたかの役者業のサポートがしやすいようにしよう、などと考えていた。
そう考えていた頃が、既に懐かしくすら思えた。
(進路、どうするかな……別に大学、すごく行きたいってわけでもないしな……)
「ジョー、ちょっと……大事な話があるんだけど」
部屋で頭を抱えて寝転んでいると、母・亜紀がドアをノックして声を掛けてきた。
いつもはあまり関わってこない母が話があるなど、珍しいことであった。
「なに……話って」
初南賛は寝起きでボサボサの頭を掻きながら、大したことではないだろうと思いながら問う。
「私、再婚することにしたの」
「………え?」
「相手はとてもいい人だし、あなたの生活の何が変わるというわけではないけども。
あなたも年頃だし、思うところもあるでしょう?このまま私について来るのも、
高校卒業と同時に出て行って一人暮らしするのも……お父さんと暮らすのも……
あなたが自由に決めていいから。親として最大の援助はするから、好きなように決めて頂戴ね」
役者を辞めて10年。
一般人として静かに暮らしていた初南賛にも、人生の転機が訪れていた。
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そんな時、仕事で京都に来ていた父・マイケルと会った。
母の再婚のことはとりあえず伏せておき、進路が決まってないことを漏らすと、
父はこんなことを言い出した。
「ジョナサン!ワタシの会社に来ないKAI!?」
「………あのね………」
父の勤める会社に、父のコネで入るなど…それで過去に自分が傷ついたことなど、忘れてしまったのか。
呆れて反論しようとする初南賛の言葉を遮り、マイケルが即座にフォローする。
「NON NON!ワタシの口添えで入れるわけじゃないYO!社長と人事に君の経歴を話したら、
是非一度会ってみたいと言うのでNE! この会社はコネとかそういうのが一切通用しない、
実力と相性最重視の会社だから、合わなければもちろん落とされる。安心していいYO!!」
勤務条件や福利厚生、給料など。話を聞いているうちに興味が沸いた。
進路は決まっているわけではない。受けるだけ受けてみようと、初南賛はOKを出した。
「OK!!! 決まりだNE!! じゃ、さっき言った日時に来るんだYO!!」
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数日後。初南賛は上京し、父の指定した待ち合わせ場所へと向かった。
そこで待っていたのは、父ではなく。
「ジョナサン!超久しぶりー☆」
「……ゆたか!?」
初南賛の良く知る、最高の笑顔のゆたかがいた。
最後に見送った時の、痩せ細って無言だった姿が嘘のような復活ぶりであった。
「ずっと連絡してなくてごめんな☆もう大・丈・夫!オレはすっかり元気だよっ☆」
何か、以前よりも無駄に明るさが増したというか、
無理に明るくしているような印象を受けなくもなかったが……
とりあえず、元気そうな姿に、初南賛は素直に安堵した。
「それにしても…今日これから会社の面接なんだけど…まさか」
「うん☆オレもマイケルおじさんに勧められて、ジョナサンと同じ会社、受けるんだ☆」
「えええっ!? ゆたかがただの会社員だなんて……ちょっと、想像付かないんだけど……」
心配そうに眉をひそめる初南賛を、ゆたかはニコニコと見つめながら、こうなった経緯を語り始めた。
「オレ、役者になるの、諦めたわけじゃないよ。……北海道にいる間さ、
マイケルおじさんが、仕事で北海道に来るたびに、わざわざ会いに来てくれてさ。
いっぱい励ましてもらっちゃった!………それにさ、」
「それに……?」
「ジョナサンが、『ゆたかを助けてくれ』って、マイケルおじさんにお願いしてくれたんでしょ?
いつもはクールで無表情なジョナサンが、あんなに必死にお父さんにお願い事してきたの、
生まれて初めてだったって、マイケルおじさん言ってた。本当にありがとう!」
「ゆたか………」
「オレ、本っ当に最高の友達持ったよ!行こう!オレたちのイイところ、いっぱいアピールして、
まずは二人で会社に内定もらおうよっ☆ 話はそれからだよ☆」
ゆたかは初南賛の手を取り、前に向かって走り出した。
「ちょ…ゆたか、そんな引っ張らないでってば!」
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ゆたかは、初南賛に素直にお礼を言えたこと、再会できたことを心から嬉しく思った。
自分が尊敬する役者であり、夢のパートナーであり、大切な自慢の友達。
そんな初南賛の、解けていない謎があとひとつだけあった。
「オレ、ジョナサンにずっと訊きたかったことがあったんだ☆」
「な……何」
「オレ、よく考えたらジョナサンのホントの名前、知らないんだ☆
ジョナサンってマイケルおじさんがつけたニックネームなんでしょ?
再会の記念にさ☆名前教えてよ☆ まぁどんな名前でもジョナサンって呼んじゃうけどさ☆」
…………
知り合って数年。自分の派手すぎる名前が嫌いであるが故に、
そういえば今の今まで正式に名乗ってもいなかったことに、初南賛は自分で自分に呆れ返ってしまった。
片手で顔を覆いながら、小声でもごもごと真相を語りだす。
「…………ょうだよ」
「………え?なに?なんて言ったの?」
顔を真っ赤にして言いづらそうにしている初南賛の顔を、ゆたかが覗き込む。
初南賛はさらに顔を赤くして、振り絞るように叫ぶ。
「ジョナサンは本名だよ!西城寺初南賛!西のお城の寺で西城寺、初めての南に賛成の賛で初南賛!
それが僕の名前!!………恥ずかしいから、二度と言わせないで!!!」