翌日。
「関口さんが休みなんてめずらしいねえ。」
総務部の席が一つだけ空いていることに違和感を感じたみはるが呟いた。
「ここのトコロ気温が上がったり下がったり、晴れたり雨降ったり
シテマスからネ、体調くずしたのカモしれまセンね。」
何の気なしに話すみはるとクリスの会話に耳を傾けつつ、
早瀬は、窓から見える、昨日に引き続き優れない空模様を見つめながら、
一昨日の結佳との遭遇を思い出していた。
(まだ…良くならないんだろうな…きっと)
昨日、早瀬が仕事から帰ると、結佳はすでにいなかった。
結佳が残していった書き置きは、助けてくれたことに対しての感謝の言葉と、
借りたセーターはクリーニングして後日返す、という内容だった。
「おっはよ~ございまぁーす!
……あれ、やっぱり結佳ちゃん休みなんだ!」
勢い良い声で総務部にやって来たのは、隣の購買部の百武愛子である。
「あっ、愛子ちゃんおっはよ~!どうだった?石塚くんとの旅行vv」
どうやら愛子は、有休を取って、昨日まで彼氏の石塚大悟と旅行に行っていたようだ。
「もっちろん、楽しかったよっ!…あっ、そうそう。
結佳ちゃん、大変な目に遭ったよねえ!旅行先でニュース見てびっくりしちゃった!」
愛子の言葉に、みはる達は目を点にする。
「大変って…なにかあったの?関口さん。」
「えぇっ!みんな知らないの!? …あっ、そうか。
みんな結佳ちゃんの妹さんの名前、知らないんだっけ。
結佳ちゃんの妹さん、最近出没してる通り魔に襲われて大ケガしたんだよ!」
(………何だって?)
・
そして…次の日も、そのまた次の日も。
結佳は会社を休み続けていた。
「……瀬! ねぇ、早瀬!!」
自分のすぐ隣から聞こえる、甲高い声。
恋人の八重子である。
「……えっ、…あぁ、何だ?」
「信号青よ!…もう、運転中にボーッとしないでよ!
事故ッたらどうするのよ!」
「あ、ああ…悪い。」
早瀬は、週末の今日、会社帰りに八重子と待ち合わせをし、
色々買い物をした後、一緒に自宅に向かう途中であった。
「早く行きましょ!あたし、早瀬の作る料理って好きなのよね~v」
「…っていうか、何で俺が飯作らなきゃならないんだ?」
「何よ!文句言わないの!あんた、あたしよりも料理上手いじゃない!」
「まあいい……それにしても、お前が家に来るのも久しぶりだな…」
「まぁね。それに、色々話もしたかったし。」
色々と談笑しつつ、二人は早瀬の自宅のあるマンションへと到着した。
外は相変わらずの曇り空であった。
早瀬は、買出し物を両手一杯に持ちながら、空を見上げた。
「これは…今夜も降るな…」
「何またボーッとしてんのよ!早く入りましょ!
そうじゃなくても、最近通り魔が出てて物騒なんだから!」
(…通り魔…)
通り魔と聞いて、早瀬は即座に結佳のことを思い出した。
妹を、通り魔に傷つけられた結佳。
部屋で介抱したのを最後に、姿を消してしまった結佳。
今、一体…どこで何をしているのだろう?
そんなことを考えつつ、エレベーターのボタンに手を触れようとしたその時。
”きゃぁぁぁっ!!”
「!?」
「なっ、何!? 悲鳴!?」
悲鳴を耳にした瞬間、反射的に早瀬の足は声の方向に向いていた。
「ちょ、ちょっと早瀬!? どこ行くのよっ!」
思わず八重子も後を追おうとする。
「お前は部屋に行って待ってろっ!!」
早瀬は必死になって、声の主がいる場所を探した。
声の大きさからして、そんなに遠くではないはずだ。
(こっちか!?)
人気の無い、角を曲がって突き当りの路地に足を踏み入れる。
そこで早瀬の視界に入ったものは。
銀光りする出刃包丁を手にした男と、尻餅をついて慌てふためく女の姿があった。
早瀬の想像通り、女の方は、十分に見覚えがあった。
結佳である。
「…ヘッヘッヘッヘ…ウラァァアア!!!」
正気と思えぬ形相と声で、包丁が結佳を襲う。
「きゃぁぁっ!!」
ドスッ!!!
男が包丁を振り下ろそうとしたその時、
男の脇腹に木刀による一撃が炸裂した。
「おっ、奥田さん!?」
早瀬は、落ちていた木刀を拾い、男と結佳の間に割って入った。
「ナンだテメェは……殺スゾァァッァア!!!」
男は早瀬めがけて包丁を振りかざした。
闇雲に近寄ってくる男を、早瀬はあくまで冷静さを失わずに
今度は男の手を目がけ、木刀を振り下ろす。
カキンッ!!
音を立てて落ちる包丁。男は武器を失った。
早瀬は、剣道は国体級の腕前。
木刀や竹刀を持たせれば、鬼に金棒である。
「…観念しろ!」
武器を失い丸裸の男に、早瀬はとどめの一撃を振りかざした。
敵わない。そう思った男は、くるりと背を向けて一目散に走り去った。
「待て!」
しかし、男は意外に足が速い。
それに今は…背後に倒れている結佳を助けるのが先だ。
「…大丈夫か?」
「ほ…放っておいてっ…!
……あの男…あの男を……倒さなければ……わたし……」
「何を言ってるんだ!そんなフラフラの状態で…」
「だって…だって、あの男は…か…和子を……っ……
う……うっ……うわぁぁぁぁっ……!!」
早瀬の腕に抱きかかえられた結佳は、そのまま早瀬の腕で号泣した。
・
・
・
「わたし……あの男に……一撃も…与えられなかった…」
泣くだけ泣いて、少し落ち着きを取り戻した後、
結佳がポツリ、ポツリと呟き始めた。
「悔しい…悔しいです…!!!
…わたしって…なんて無力なの…?」
「…もしかして、会社を休んでずっとあの男を追っていたのか?」
無言でコクリと頷く、結佳。
「わたしの妹は…数日前、あの男に襲われて…足を切りつけられました。
…命には、別状は無かったのですが…
傷が深く、重い後遺症が…残ってしまったんです…」
ニュースや新聞では、確か全治一ヶ月と報道されていたが、
マスコミは後遺症のことまでは報道しない。
それは、確かに犯人は憎んでも憎みきれないくらいだろう。だが…
「犯人を捕まえるなら、警察に任せればいいだろう。
何も君がそこまでして、犯人を追わなくとも…」
「…いいえ…!! 許せないんです…!!
わたしの…わたしの大切な家族を…傷つけられたのが…
わたしを大切に育ててくれた、大切な両親の…本当の娘の和子を…!!!」
「本当の娘…?」
「わたし…は、養女なんです、今の両親の本当の娘じゃないんです。
けど…お父様も…お母様も、わたしを大事に育てて下さいました…
…わたし、お父様やお母様、そしてわたしを…本当の姉と慕ってくれる妹…和子のためなら、
命は惜しくありません…!! わたしの命に代えてでも、あの男を…!!」
「馬鹿野郎!!!」
泣きながら飽くまでも執念を燃やし続ける結佳を、早瀬は怒鳴りつけた。
早瀬は、涙でぼろぼろになり、力の抜けた結佳の両肩を力強く掴む。
「育ててくれた親のために命を懸けるだと!? それは間違っている!!
いいか、子供が親よりも早く死ぬことほど、親不孝なことは無いんだ!!
まして…血の繋がりが無いにも関わらず、
長い間、君をここまで立派に育ててくれたご両親のために
命を落とすなんて…そんなこと、許されることじゃない!!」
「…わたしがどうしようと、わたしの勝手です……離して下さい……!!」
早瀬の説得に気圧されがちの結佳は、うつむきながら抵抗する。
「いい加減にしろ!だいたい、そんな事をしたって…」
「…早瀬…何してるの?」
言い合う二人の背後から、女性の声。
八重子である。
なかなか帰ってこない早瀬を気にして、探しに来たらしい。
「…八重子…!」
早瀬が、八重子の声に気をとられた隙に、
結佳は早瀬の腕から逃れる。
「あ、待てっ!」
早瀬の止める声も聞かず、振り向かずに走り去る結佳。
結佳の後姿に向けて、早瀬は叫ぶ。
「君が傷ついてまであの男に復讐したところで、
君の両親や妹は喜ぶと思っているのか!? ……結佳!!!」