[小説]―― 6月 ――(3)

小説/本文

お互いの想いを確認し合った二人は、それからの季節を共に過ごしていった。
昼は、仕事に励み。
夜は、眞妃の指導による日本語の勉強。
時には、眞妃が明のマンションに泊まり、食事を作ったりした。
その甲斐もあってか、明の日本語はどんどん上達していった。

そんな日々が、どのくらい続いただろう。
年が明けてすぐの、ある寒い日の出来事だった。
『…え、イトコ?』
『うん。大阪に住んでた僕の従兄弟で、僕より3歳年上なんだけど、
東京で働くことになったんだって。
…それで…、収入が安定するまで、僕のマンションに一緒に住むことになったんだ。
…だから…残念だけど……
今までのように眞妃に泊まってもらうことはできなくなっちゃうんだ…』

そう言って、明は肩を落とす。
『…その、従兄弟のお兄さんは、日本語出来るの?』
『僕も、あんまり会ったことないんだけど、日本で暮らし始めて3年だって言ってたし、
大阪でも仕事してたわけだから、きっと話せると思うよ』

『じゃあ、いいじゃない!そのお兄さんに日本語教わりなさいよ!
異性より同性に教わった方がいろいろと細かい表現も覚えられるし』

『…ま…眞妃ぃ……』
あっさりと言う眞妃に、明は寂しそうな顔をする。
『…何そんな寂しそうな顔して…泊まれなくなったって、会社でも会えるし、
週末は一緒に出かければいいでしょ?』

『…そ、そうだけどぉ……』
『それとも、四六時中一緒にいなくちゃ、気持ち冷めちゃう?
明の私に対する気持ちって、そぉーんなモンだったんだ~?』

そう言い放ち、眞妃はそっぽを向いて歩き出す。
『え、あ、ち、違うってば!!待ってよ眞妃っ!!』
あわてて追いかけてくる明の方を、眞妃は突然振り向く。
急に立ち止まった眞妃に驚き、明は眞妃にぶつかる。
眞妃は、ぶつかった明にそのまましがみつき、軽くキス。
『…そりゃ、私だって寂しいわよ。
だけど…早く、日本語マスターして、イギリスに左遷しようとした
部長を見返すんでしょ?早く、明が部長の鼻をあかすところ、見たいもの』

あまり、自分の気持ちを素直に表現することのない眞妃が、
「寂しい」と言う。
明にはそれが、たまらなく嬉しかった。
『…うん、わかった!頑張るよ、僕』

……後に思えば、これが眞妃の最大の誤算だったのだ。

4月。
眞妃と明が入社して、ちょうど一年が経った。
昼休み、眞妃は桜が舞う会社の近所の公園を一人で散歩していた。

「そういえば…『ナニサワさん』なんて呼ばれたっけなぁ」
一年前、明と初めて出会ったときのことを思い出していた。
明が、従兄弟と暮らすようになってから、4ヶ月弱。
なかなか機会がなく、その従兄弟にはまだ会ったことはない。
だが、従兄弟の教え方が、よほど上手いのか、日本語はどんどん上達し、
営業成績も驚くほど上がったという。
明も、眞妃同様、「会社にとってなくてはならない存在」になりつつあるのだ。

眞妃は、最近、会社以外のプライベートでは明とあまり会っていない。
電話をしても、通じないことが多い。
週末に会おうとすると、従兄弟と用事があるから、と断られることも少なくない。
よほど気が合うのだろう。
眞妃は、その従兄弟に少なからず嫉妬していた。
(でも…男の人に嫉妬したって…ねえ…)
それに、たまに明と会ってみれば、明は心から自分の事を愛してくれる。
(ま、ワガママ言ってもしょうがないわね。明の業績が上がったのも
その従兄弟さんのおかげなわけだし…
…そういえば…私からの日本語の指導はやめちゃったし、二人でいるときは
いつも英語で話してるから、明の日本語、最近聞いてないわね…)

「…でさぁ、そのシステム設計部の人がね…」

(…あら?)
声のした方を振り向くと、新入社員の二人が歩いていた。
新調したてのスーツが、なんだかとても初々しい。
今年も、新入社員は男女一人ずつである。
会話を聞いていると、どうも男の方は口ベタらしく、
元気な女の子の会話になかなかついていけないでいた。
(…ふふっ、何だか1年前の明みたい)
眞妃は、二人の会話を耳にしつつ、春の日差しを心地よく浴びていた。

「…そーいえばさ!営業部にガイジンさんいたよね?」

(あ…明のことだわ)

「え?…もしかして、あの面白い口調の人のこと?」

(面白い口調?)

「そうそう!『はじめまして~ん♪アタシ、ハインリヒっていうの!
ハリーちゃんって呼んでねん♪』って!」

(はあっ!?)

「うん…最初冗談かと思ったけど…何だかあれが『地』みたいだったね」

(…な…何ですって!?)

事の真相を明らかにするべく、眞妃は明を問いつめようとした。
しかし、その日に限って明は営業会議に出席していて、終業時間になっても
会議は一向に終わらなかった。

(もういいわ…直接明の従兄弟に会って、どういう日本語の教え方をしたか聞いてみる!!)
久しぶりに、眞妃は明のマンションのドアの前に立つ。
眞妃は、ゆっくりとインターホンに触れる。

”ピンポ~……ン ”

しばらくして、中の住人が応答する。
おそらく、この人が明の従兄弟だろう。

”ハ~イ?……あら…… ”

中から眞妃の姿を確認した明の従兄弟は、
何か思い出したかのような反応をすると、静かにドアを開けた。

「こんにちは、いらっしゃい」
眞妃は、中から出てきた明の「従兄弟」に驚く。
背中まである、赤メッシュの入ったウエーブの金髪に、濃いめのメイク。
そういった出で立ちでも、かなり体格がよく、背も高いので、男性だということはわかる。
……まさか……このヒト、オカマ?
「はじめまして、私…」
「知ってるわ。成沢眞妃ちゃんね♪」
「え…」
明が話したのだろうか。「従兄弟」は、興味津々に眞妃を見つめる。
「アタシ、ジョルジュ佐藤。イギリスと日本のハーフよ。
ハリーちゃんの、母方のイトコにあたるの」

そう言ってジョルジュは、警戒した表情の眞妃を見下ろす。
「…ふ~ん…あなたが、アタシのハリーちゃんが大事に大事にしてる、眞妃ちゃん…ね」
(『アタシのハリーちゃん』?)
「…ふふっ、まあいいわ。あがってお茶でもどうぞ♪」

「コレね、イギリスから取り寄せた最高級の紅茶なのよぅ♪
ハリーちゃんが大好きでねっ!」

「…どうも…頂きます…」
眞妃は、香りの高い紅茶を受け取り、一口飲む。

…本当なら、 『よくも明にあんなふざけた日本語教えたわね!?』と
文句のひとつでも言ってやるはずだった。
が…
相手が「こんな人」だとは思ってもいなかった眞妃は、
(…どうすればいいのよ…この人、日本語はこれでいいって思ってるかもしれないし…)
「…で、今日は一体どんなご用なのかしら?」
「…あ、あの…」
予定が狂った眞妃は、何をしに来たと言えばいいのか、言葉が出なかった。
「…まさか…アタシとハリーちゃんに別れろって言いに来たんじゃないでしょうねえ?」
「!!??」

一瞬、耳を疑った。
(”別れろ ”って…何を言ってるのこの人!?)

「ジョルジュ!!」
そこへ、会議を終えて帰ってきた、明が現れた。
「なっ、何してるのよっ!!眞妃も、何でここにいるのん?」
…新入社員達が言っていたように、明の口調がおかしい。
「…あ……明……」
眞妃は、何が起こっているのか、訳が分からず、
玄関にいる明の元へ駆け寄ろうとする。
が…

ぐらり。
(…え……!?あ……何!?)
立ち上がった瞬間、眞妃はめまいを起こし、その場に倒れる。
「フフッ、動けないでしょ~?さっきの紅茶に、ちょっとね♪」
(な…なんですって…?)
「な…なんってことするのよっ!!ジョルジュ!!」
「だあってえ~ ハリーちゃんってば最近冷たいんだものっ♪」

(な…にを…言って…?)

明は、だんだん頭に血が上って、話す言葉が次第に英語に変わる。
『何を考えてるんだ、ジョルジュ!!ちゃんと、今まで君の言うとおりに
してきたじゃないか!!約束が違う!!』

(や…やくそ…く…?)

「約束…?ああ、『アタシの言うことをなんでも聞いてくれたら、
眞妃ちゃんには手を出さない』っていう、アノ約束?」

(や…だ…もう…限…界…)

「面っ白かったわあ~!ハリーちゃんってば、アタシの言うとおりに
電話もシカトして、デートも見事にすっぽかしてくれたもんね♪」

ジョルジュの言葉の続きを気にしつつも、眞妃は薬が回って、眠ってしまった。

眞妃が眠ったのを見計らって、ジョルジュは、眠っている眞妃を抱き起こす。
「…この子がいるから、アナタはアタシのことを見てくれないのよね。
……ハリーちゃん……お願いだから、この子と別れて。この子とは2度と会わないで。
言うこと聞いてくれないなら、今すぐこの場で、この子を襲っちゃうから」

『…冗談じゃない!!やめろ、ジョルジュ!!』
完全にキレた明は、ジョルジュに殴りかかる。
しかし、体格的に負けている明は、ジョルジュの片腕だけで止められてしまう。
眞妃を抱いている左側を攻めようとすると、眞妃を盾にしてくる。
『…こ…のォッ……!!!』
「きゃあっっっ!!??」
明は、食卓にあったコショウのフタを開け、ジョルジュに向けて一気に振りかける。
ジョルジュはひるみ、同時に眞妃を抱えていた左腕の力が緩む。
そのスキを逃さず、明は眞妃を奪回する。
眞妃を抱え、裸足のまま明はマンションを飛び出した。

『眞妃…………ゴメン……ゴメンっ……!!!
こんな…こんな酷い目に遭わせて…!!!』

涙を流しながら、明は会社の近所の公園まで走ってきていた。
薬がよほど強いのか、眞妃は目を覚まさない。
(………明………?)
けれども、重く閉ざされた意識の奥で、眞妃は、
明のぬくもりを、確かに感じ取っていた。

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