[小説]純情青年の憂鬱(3)

小説/本文

次の日、終業時間直前。
昨晩の電話で、橘と待ち合わせをしていたみひろが、
待ちきれなかったのか、会社までやって来た。

「えへへ…来ちゃった」
照れながら、みひろが微笑む。
橘はもう、動じなかった。
橘は、これから彼女に言うべきことを頭の中に
思い浮かべると、少し苦笑いする。
「あっ、橘く~ん!これからデートなのおっ!?きゃーっ♪」
「……みはるちゃん……」

橘の苦悩をよそに、浮かれまくるみはるが、
今日はなんだか妙にカンに障る。
「いいねえっ!付き合い始めたばっかだから、
毎日会わないと気が済まないのねっ♪もーっ!
いいなあ、みひろちゃん♪ヒューヒュー!」

相変わらず、橘の気持ちなどつゆ知らずのみはるは
お構いなしに冷やかし始める。

…みはるのその行動が、複雑な橘の心の奥に火をつけた。

「……違うっ!!!」

いつも大声など決して出さない、橘の突然の叫びに、
みはるとみひろは目をまんまるにして、驚く。
同じフロアにいた社員達も、仕事の手を止めてこちらを伺っている。
橘のことをよく知らないみひろはともかく、
普段、職場を共にしているみはるの驚きは尋常ではなかった。
いつもの、あの優しい橘とは、明らかに違う。
「た…橘くん…?…どしたの…?」
何が橘を怒らせたのか、もちろんみはるにわかるはずもない。

「……どうして…君はいつもそう……!!」

その時、終業のチャイムが鳴る。
それと同時に、橘は自分のカバンと上着を席から持ってくると、
そのままオフィスを去った。
「え!?ちょっと!橘さん!?」
あわてて、みひろが追いかけていった。

「な……なんなのお……?」
まだ、何が起こったのかわからないみはるは、
泣きそうになりながら、オフィスの入り口で
呆然と立ちつくすだけだった。

(……僕は……なんてことを……あれじゃ逆ギレもいいとこじゃないか……)
無意識にダッシュでたどり着いた所は、
会社から少し離れた公園だった。
(確かに、みはるちゃんは僕の気持ちなんて全然わかってない…
でもそれは僕がなんのアプローチもしないからであって…)

みはるは悪くない。
それなのに、思わずみはるにあたってしまった。
橘は、深い自己嫌悪に陥った。

「…たっ……橘さん……」
やっとのことで、公園に辿りついたみひろが、
息をきらして橘の前に立つ。
「……みひろさん……」
みひろの目は、どこか悲しそうだった。
それでも、言わなければならないことがある。彼女には。
泣かせてしまうのは、重々承知だが……

「…みひろさん…ごめん……!!」
「……みはるのことが、好きなのね?」

「!!」

自分が言うはずだった言葉を、先にみひろに言われ、
橘は唖然とする。
「…そりゃ、好きな女の子に、好きでもない女の子のことを
冷やかされたら、怒りたくなるのも無理ないもんね」

そう言って、みひろは寂しげに苦笑する。
「みひろさん………」
「わかったの、さっきので全部。……ううん、
ホントのこと言うと初めて会った日曜日から。
橘さん、私の顔、何かと比べるみたいにまじまじと見てたでしょ?
初対面で顔ばっかり見つめる人ってそうそういないし。
それでいて、私の仕草ひとつひとつにいちいち照れるし」

みひろには、すべて見透かされていたのだ。
「……じゃあ……なんで付き合ってるって……」
「ゴメンね。少しの間でいいから、夢見たくなっちゃって。
みはるにはウソついちゃったの…すぐバレるのは承知だったけど…」

梅雨の晴れ間の、少し涼しい風が、みひろの長い髪をなびかせる。
何を言い返せばいいのか分からず、
橘はみひろを見つめたまま、黙っている。
みひろは微笑んでいた。
けれども、頬には涙が流れていた。

「……キスしたことは、謝らないよ」
「…?」
「この私をフッたんだから、慰謝料よっ!!」
そう言って、みひろは袖で涙をゴシゴシと拭い、精一杯微笑んだ。
けれども、その微笑みから再び、涙。
「あ…あれ?止まんない……なんでかなあ……」
みひろの涙を見ていられず、橘はハンカチを差し出す。
「ごめん……ホントにごめん!!!みひろさんっっ!!!」
そう言って、橘は公園を走り去った。

「……あーあ……フラれちゃったあ……」
一人、公園に残されたみひろは、橘のぬくもりが残る
ベンチに腰掛け、涙が流れないよう、空を見上げた。

その夜、一睡もできなかった橘は、
睡眠不足と食欲不振がたたり、次の日、会社を休んだ。

みひろに別れを告げた日から、2日後。
会社に着くなり、みはるが橘の席で待ちかまえていた。

「……おはよう、みはるちゃん」
「ごめん!!!橘くん!!!」
いきなり、みはるに頭を下げられる。
「え?」
「ほんとにごめんね!!みひろちゃんが橘くんと付き合うって言ったの、
みひろちゃんの冗談だったんだって!!!あたし、カンチガイしちゃって……」

(……じょう、だん……)
どうやら、みひろはみひろなりにみはるに上手く説明したようだ。
「で、橘くんにはちゃんと好きな人がいるって聞いて……」
「……え?」
「誰っ!?」
教えてくれなきゃ許さないっっ!!!!
とばかりに、みはるは橘ににじり寄る。
「ねえーーーーっっ!!!誰誰誰誰っっ!?」
「…え…えと…あのね…」
「みひろちゃんが言うには、橘くん、その人にゾッコンなんだって!?
みひろちゃんみたいないいコをフッてまでも好きなんでしょ!?」

なかなか口を割らない橘に、ヤキモキするみはる。
そんなみはるが、なんだかとても愛おしく思えた。
…そう、僕はこの子にどうしようもなく惚れてしまっているのだ。

「うん。好きだよ」

そう言って、橘は今までに見せたことのない、とびきりの笑顔を見せる。
そんな橘の笑顔に、みはるは一瞬 どきり とさせられる。

「えっ、あっ!そ、そうなんだ!へーっ!!
あっ、そろそろお茶入れなきゃっ!!じゃあまたね!橘くん!!」

そう言って、みはるは逃げるように湯沸かし室へと向かった。

お湯をわかしながら、みはるは一人、空を見つめていた。
(橘くんの好きな人、かあ……)
普段、無表情気味の橘があんな笑顔を見せるなんて。
(その笑顔を作らせている人が、ちょっとうらやましい、かも……)

人の恋愛に首をつっこむのが好きなわりに、
自分のことにはとことん疎いみはるは、
その気持ちが、生まれて初めて抱いた

「嫉妬」

という感情だということに、まだ気づいてはいなかった。

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