週が明けても、やはり結佳は会社に姿を現さなかった。
「関口サン、ドーシタんデスカね~。」
「関口さんがいないと、寂しいね…」
「奥田サン、何か聞いてマセンか?」
結佳を心配する総務部の面々の視線は、早瀬に集中した。
「あ…ああ、ちょっと体調を崩しているようだな…」
まさか、会社を休んで通り魔を追っている、などとは…
彼女の複雑な事情を考えると、到底言えなかった。
今日もどんよりとした空を、空ろに眺める早瀬。
(今日も…また追っているんだろうか…)
週末は八重子と過ごそうと思っても、結佳のことが頭から離れずに
結局八重子を帰し、休日を一人で過ごした。
(…何で、こんなに頭から離れないんだ…?
あれだけ説得しても聞かない強情っぷりなんだ、
もう好きにさせとけばいいだろうに…)
きっと、自分がこうやって淡々と仕事をしている今も、
彼女はどこかの人気の無い路地で、あの男を捜しているのだろう。
あんな、華奢な体一つで、凶悪犯と戦う強気な彼女。
だが…強いのは気だけで、触れたら折れてしまいそうなほど、儚げ。
もしかしたら、またあの男に出会い…
…今度こそ、殺されてしまうかもしれない。
そう思うと、早瀬は気が気ではなくなり、思い立ったように席を立った。
・
結佳は、特定の区内で出没する犯人が好みそうな、
人気のまばらな路地を選んでは、張り続ける。
そんな日々を続けていた。
(今日こそ……一撃だけでも……)
あの大雨の日に倒れて以来、安静にしてないせいか、
熱が下がらずに体調が悪いまま、張り込みを続けている。
結佳の体力もそろそろ限界に近づいていた。
だが、どうしても…自分の手であの男を捕まえたい。
大切な妹を傷つけたあの男を…絶対に捕まえたい。
たとえ、自分の命を賭してでも…
「……奥田さん……」
結佳は、体を張って自分を二度も助けてくれた、早瀬のことを思い出す。
早瀬は言った。親よりも先に死ぬことは最大の親不孝だと。
間違っていない。それは分かっている。
だが、結佳の心に住まう正義の心が、それを認めない。
”君が傷ついてまであの男に復讐したところで、
君の両親や妹は喜ぶと思っているのか!? ……結佳!!!”
彼に、名前を初めて呼ばれていたことに、
結佳は少々どきりとする。
彼…奥田早瀬とは、同じ総務部の上司と部下。
ただそれだけの関係のはずだ。
だが、あの大雨の日…彼に助けられたあの日から。
ただの上司だった彼に対する感情が、
何か少しずつ変わってきているような、そんな気がしてきた。
自分の肩を掴んだ、あの力強い腕の感触を思い出す。
自分に怒鳴りつけた時の、あの真っ直ぐな瞳を思い出す。
それだけで、胸が締め付けられるような思いに駆られる。
「…だ、駄目…」
こみ上げてくる感情を、結佳は真っ向から否定しようとする。
そう…早瀬には、既に心に決めた女性がいるのだから。
”早瀬…何してるの?”
あの時、彼女の声に…一瞬だけ、自分の肩を掴む力が緩んだ早瀬。
この二人は恋人同士なんだ、と。
目の前で実感させられたのだ。
自分が割り込む余地など、あるわけがない。
結佳は、何かを振り切るように首を勢いよく左右に振る。
「…今は、あの男を倒すことだけに専念しなければ…なりませんわ…」
「ダレを倒スって…?ヘヘヘヘヘ」
「!!??」
ガスッ!!
「きゃあ!!」
不意に足を掛けられ、よろける結佳。
考え事をしているうちに、あの男が結佳の背後に現われたのだ。
「この間は妙な男に邪魔サレたケドなぁぁあ~…今日はソウはいかネーぜぇぇェ…」
「…この…悪党!! 今日こそは…!!!」
倒されて武器を奪われた時のことを予測して、
結佳はポケットからナイフを取り出す。
「そンなオモチャ、ムダムダ…ヘッヘッヘ…ウラララララァァア!!!」
突然、男が包丁を無闇に振り回しながら近づいてくる。
「…くっ…!!」
逃げることだけが精一杯の結佳。
ザクッ!
「うっ!」
包丁の一振りが、結佳の腕をかする。
切られた部分の衣服が、徐々に血に染みてくる。
「ヘッヘッヘ…血だ…血ィダァ~…」
不気味な笑みを浮かべる男。
「…っ…このぉぉぉっ!!!!」
結佳はナイフを構え、決死の覚悟で男に突進した。
「フヒャーッヒャハハハ!!!切り刻んでヤらァァアアアァァ!!!!!」
男は、待ってましたと言わんばかりに包丁を振りかざす。
その時。
”メキメキメキメキ…”
「ンガァ!?」
突然、包丁を持つ男の腕に、思いも寄らぬ異変が。
「……氷!?」
そう、男の腕は一瞬にして、氷に包まれてしまったのである。
両腕を氷に封じられ、慌てふためく男。
こんなことが…あっていいのだろうか。
……いや、こんなことが出来そうな男を、結佳は知っていた。
「…危なかったですね。大丈夫ですか?」
「か、烏丸…さん…」
「な、なんダテメェはあァア…殺す!殺ス!!」
両腕を封じられた男は、残された足を使い、結佳と雪彦に突進しようとした。
だが…
「ウラァァア!!!!!超部長キ―――――――ック!!!!!!!!」
男が足を踏み出す前に、柴田美彦の後頭部蹴りが炸裂。
人とも思えぬジャンプ力だ。
男はあっけなく路上に倒れる。
「超部長パンチ!!超部長アッパー!!!超部長エルボー!!!!
超部長チョーップ!!!!!超部長バックドローップ!!!!!
極めつけ超部長電気アンマ――――――!!!!!!」
「おいおい、しばっちょ~、それ以上やったら死ぬぞ?そいつ。
あっ、でもおれも一発くらい蹴っとこかな。」
柴田部長の後を追って来た、古屋 司が緊張感なく言う。
「殺人犯の家内なんてやるのは御免だぞ、私は。」
続いて、陰から様子を見ていたみゆきが突っ込む。
「み、皆さん……」
「事情は言わなくともわかっていますよ。
みんな、関口さんのために犯人探しに協力してくれたんです。
ここにいない人たちも、別の場所で捜索してくれていますよ。
…あ、無事解決の連絡を入れないといけませんね。」
雪彦が穏やかに言う。
「そ…そんな…皆さんにご迷惑を…」
「礼ならはややんに言うんだな。」
「は、はや…?」
「あぁ、奥田早瀬部長代理だよ。」
唐突に、いつものようにあだ名で呼んでしまい、
理解できなかった結佳に、司が説明を加えた。
「ホラ、今って勤務時間中だろ?
んでさ、はややん自ら社長に直訴してさ、
勤務時間中だけど犯人探しに社員を使ってもいいかって。
で、おれたちに頭下げて協力してくれとまで言われてさ~。」
「奥田…さんが…」
「社長に言われずとも頭下げられずとも、協力しましたけどね。当然。」
「おうよ!!!!悪人をこの世にのさばらすワケにもいかんからなぁ!!ハッハッハッハ!!!
…っと、そうそう。とどめは関口!お前がやれ!!!」
と言って、美彦は痛みに悶える男を指差す。
まだ気を失ってはいないようだ。
皆に背を押される結佳。
結佳は、憔悴しきりながらも微笑むと、木刀を構えた。
「それじゃ……お言葉に甘えて。」