[小説]正義が禁忌を犯す時(4)

小説/本文

週が明けても、やはり結佳は会社に姿を現さなかった。

「関口サン、ドーシタんデスカね~。」
「関口さんがいないと、寂しいね…」
「奥田サン、何か聞いてマセンか?」
結佳を心配する総務部の面々の視線は、早瀬に集中した。
「あ…ああ、ちょっと体調を崩しているようだな…」
まさか、会社を休んで通り魔を追っている、などとは…
彼女の複雑な事情を考えると、到底言えなかった。

今日もどんよりとした空を、空ろに眺める早瀬。
(今日も…また追っているんだろうか…)
週末は八重子と過ごそうと思っても、結佳のことが頭から離れずに
結局八重子を帰し、休日を一人で過ごした。
(…何で、こんなに頭から離れないんだ…?
あれだけ説得しても聞かない強情っぷりなんだ、
もう好きにさせとけばいいだろうに…)

きっと、自分がこうやって淡々と仕事をしている今も、
彼女はどこかの人気の無い路地で、あの男を捜しているのだろう。
あんな、華奢な体一つで、凶悪犯と戦う強気な彼女。
だが…強いのは気だけで、触れたら折れてしまいそうなほど、儚げ。
もしかしたら、またあの男に出会い…
…今度こそ、殺されてしまうかもしれない。
そう思うと、早瀬は気が気ではなくなり、思い立ったように席を立った。

結佳は、特定の区内で出没する犯人が好みそうな、
人気のまばらな路地を選んでは、張り続ける。
そんな日々を続けていた。
(今日こそ……一撃だけでも……)
あの大雨の日に倒れて以来、安静にしてないせいか、
熱が下がらずに体調が悪いまま、張り込みを続けている。
結佳の体力もそろそろ限界に近づいていた。
だが、どうしても…自分の手であの男を捕まえたい。
大切な妹を傷つけたあの男を…絶対に捕まえたい。
たとえ、自分の命を賭してでも…
「……奥田さん……」
結佳は、体を張って自分を二度も助けてくれた、早瀬のことを思い出す。
早瀬は言った。親よりも先に死ぬことは最大の親不孝だと。
間違っていない。それは分かっている。
だが、結佳の心に住まう正義の心が、それを認めない。

 ”君が傷ついてまであの男に復讐したところで、
君の両親や妹は喜ぶと思っているのか!? ……結佳!!!”

彼に、名前を初めて呼ばれていたことに、
結佳は少々どきりとする。

彼…奥田早瀬とは、同じ総務部の上司と部下。
ただそれだけの関係のはずだ。
だが、あの大雨の日…彼に助けられたあの日から。
ただの上司だった彼に対する感情が、
何か少しずつ変わってきているような、そんな気がしてきた。
自分の肩を掴んだ、あの力強い腕の感触を思い出す。
自分に怒鳴りつけた時の、あの真っ直ぐな瞳を思い出す。
それだけで、胸が締め付けられるような思いに駆られる。
「…だ、駄目…」
こみ上げてくる感情を、結佳は真っ向から否定しようとする。
そう…早瀬には、既に心に決めた女性がいるのだから。

 ”早瀬…何してるの?”

あの時、彼女の声に…一瞬だけ、自分の肩を掴む力が緩んだ早瀬。
この二人は恋人同士なんだ、と。
目の前で実感させられたのだ。
自分が割り込む余地など、あるわけがない。

結佳は、何かを振り切るように首を勢いよく左右に振る。
「…今は、あの男を倒すことだけに専念しなければ…なりませんわ…」
「ダレを倒スって…?ヘヘヘヘヘ」
「!!??」

  ガスッ!!
「きゃあ!!」
不意に足を掛けられ、よろける結佳。
考え事をしているうちに、あの男が結佳の背後に現われたのだ。
「この間は妙な男に邪魔サレたケドなぁぁあ~…今日はソウはいかネーぜぇぇェ…」
「…この…悪党!! 今日こそは…!!!」
倒されて武器を奪われた時のことを予測して、
結佳はポケットからナイフを取り出す。
「そンなオモチャ、ムダムダ…ヘッヘッヘ…ウラララララァァア!!!」
突然、男が包丁を無闇に振り回しながら近づいてくる。
「…くっ…!!」
逃げることだけが精一杯の結佳。
 ザクッ!
「うっ!」
包丁の一振りが、結佳の腕をかする。
切られた部分の衣服が、徐々に血に染みてくる。

「ヘッヘッヘ…血だ…血ィダァ~…」
不気味な笑みを浮かべる男。
「…っ…このぉぉぉっ!!!!」

結佳はナイフを構え、決死の覚悟で男に突進した。
「フヒャーッヒャハハハ!!!切り刻んでヤらァァアアアァァ!!!!!」
男は、待ってましたと言わんばかりに包丁を振りかざす。
その時。

 ”メキメキメキメキ…

「ンガァ!?」
突然、包丁を持つ男の腕に、思いも寄らぬ異変が。
「……氷!?」
そう、男の腕は一瞬にして、氷に包まれてしまったのである。
両腕を氷に封じられ、慌てふためく男。
こんなことが…あっていいのだろうか。
……いや、こんなことが出来そうな男を、結佳は知っていた。
「…危なかったですね。大丈夫ですか?」
「か、烏丸…さん…」
「な、なんダテメェはあァア…殺す!殺ス!!」
両腕を封じられた男は、残された足を使い、結佳と雪彦に突進しようとした。
だが…

「ウラァァア!!!!!超部長キ―――――――ック!!!!!!!!」

男が足を踏み出す前に、柴田美彦の後頭部蹴りが炸裂。
人とも思えぬジャンプ力だ。
男はあっけなく路上に倒れる。

「超部長パンチ!!超部長アッパー!!!超部長エルボー!!!!
超部長チョーップ!!!!!超部長バックドローップ!!!!!
極めつけ超部長電気アンマ――――――!!!!!!」

「おいおい、しばっちょ~、それ以上やったら死ぬぞ?そいつ。
あっ、でもおれも一発くらい蹴っとこかな。」

柴田部長の後を追って来た、古屋 司が緊張感なく言う。
「殺人犯の家内なんてやるのは御免だぞ、私は。」
続いて、陰から様子を見ていたみゆきが突っ込む。
「み、皆さん……」
「事情は言わなくともわかっていますよ。
みんな、関口さんのために犯人探しに協力してくれたんです。
ここにいない人たちも、別の場所で捜索してくれていますよ。
…あ、無事解決の連絡を入れないといけませんね。」

雪彦が穏やかに言う。
「そ…そんな…皆さんにご迷惑を…」
「礼ならはややんに言うんだな。」
「は、はや…?」
「あぁ、奥田早瀬部長代理だよ。」
唐突に、いつものようにあだ名で呼んでしまい、
理解できなかった結佳に、司が説明を加えた。
「ホラ、今って勤務時間中だろ?
んでさ、はややん自ら社長に直訴してさ、
勤務時間中だけど犯人探しに社員を使ってもいいかって。
で、おれたちに頭下げて協力してくれとまで言われてさ~。」

「奥田…さんが…」
「社長に言われずとも頭下げられずとも、協力しましたけどね。当然。」
「おうよ!!!!悪人をこの世にのさばらすワケにもいかんからなぁ!!ハッハッハッハ!!!
…っと、そうそう。とどめは関口!お前がやれ!!!」

と言って、美彦は痛みに悶える男を指差す。
まだ気を失ってはいないようだ。
皆に背を押される結佳。
結佳は、憔悴しきりながらも微笑むと、木刀を構えた。

「それじゃ……お言葉に甘えて。」

タイトルとURLをコピーしました