[小説]純情青年の憂鬱(1)

小説/本文

ガタタン…ガタタン…
”ご乗車ありがとうございます。ええ~次の停車駅は~…”

いつものように、朝が始まる。 電車は、通勤ラッシュで人がごった返している。
その黒山の人だかりの中に、今日も大島 橘はいた。
(勤め始めて1年経つけど…ラッシュってのはそうそう慣れられるものじゃあないな…)
それでも彼は、家からたった2駅で会社の最寄り駅に着くのだから、まだいいほうだろう。

ほどなくして、会社のある駅に到着した。
(さて…今日はたまった書類を片づけないと…)
橘が、会社のある北口方面へと足を踏み出そうとすると…

「あ、あの…っ!!すいません…」

ふいに、背後から声をかけられる。
「は、はい?」
女の子である。
背中まである、ストレートのロングヘアに、ふち無し眼鏡の女の子。
ただ、下を向いてしまっているので、表情までは見られない。
女の子は、橘に声はかけたものの、それから黙ったままだ。
「あ、あの~…どうしたんですか?」
とまどう橘に、はっ!と我に返った女の子は、思い出したように
ポケットから一通の手紙を出す。
「あ、あの…あの…これ読んでくださいっっっ!!!!」
女の子は、手紙を橘に押しつけると駆け足でその場を去った。
「え?あ、ちょっと、君!!」

何気ない朝の、一瞬の出来事だった。
会社の始業時間まで、まだ間がある。
橘は、駅のベンチに座り、手紙の封を開けた。

” 毎日、同じ時間の電車に乗るあなたを、
初めて見たときから、ずっと、あなたの事が好きでした。
もし、よかったら今度会っていただけないでしょうか。 …… ”

「こ…これって…」
「よーぅ橘!はよっ!!」
突然、満に声をかけられ、即座に手紙をカバンに隠す。
「と、遠山さん!おはようございます」
「なーにしてんだ?お前。遅刻すっぞ!」
「あ…は、はい…」
橘は、まだ読み終えていない手紙の続きを気にしつつも、
早足で会社に向かう満の後を歩いていった。

昼休み。
橘は、朝出会った見知らぬ女の子から貰った
手紙を、カバンから取り出す。
「…それにしても……どうしようかなあ…」
よく見ると、長いこと渡せずにポケットにしまったままだったのだろう、
封筒は、しわが寄っていて、カドが折れてすこし毛羽立っている。
その封筒は、彼女が橘を見つめ始めてからだいぶ時が経っていることを物語っていた。
それがわかっているから、橘はなおつらい。

彼にはすでに好きな人がいる。
同じ会社に勤める、自分と同期入社の女の子だ。
名前は、森川みはる。
初めて会った時に一目惚れをしてしまい、以来、今でもずっと
彼女だけを見つめ続けている。
今のところ、想いが成就する見込みはほとんど無いが…
「やっぱり…いい加減な気持ちで受けるわけにいかないもんなあ…」
気持ちは嬉しいけど、断ろう…
と、封筒に手紙をしまおうとすると、

「…それ…ラブレター?」

え!?
いつからいたのだろうか。橘の背後に、みはるがいた。
「みっ、みはるちゃん!」
ただでさえ見込みのない恋が、こんなものを見られたら…!!
橘は、とっさにカバンに手紙を詰め込もうとするが、
タッチの差で、みはるに手紙を奪われる。封筒のみだが。
「わ、わあっ!!か、返してよっ」
「これ…みひろちゃんの字!」
みひろちゃん?
(ま…まさか、みはるちゃんの知り合い!?だったらなおマズいよ…!!)
橘は、おそるおそる、みはるに問う。
「み…みはるちゃんの知り合いなの…?」
「あたしのお姉ちゃんだよ」
「えええええーーーーーーーっっっっっ!!??」

そういえば、封筒の裏までは目を通していなかった。
みはるに返してもらった封筒を、再度見直す。

(緑都大学 文学部2回生 森川みひろ)

本当だ、同じ苗字…。みはるちゃんのお姉さん…
橘は、今朝会った女の子…みひろの姿を思い出してみる。
そういえば、背格好がみはるによく似ていた。
みはるが束ねた髪をほどき、眼鏡をかけたらあんな感じだろう。
(…まてよ…僕のことをなんとも思ってないみはるちゃんがこんなことを知ったら…)
「すごい!橘くん!!みひろちゃん、男の子の趣味にはすっごくうるさいんだよお~!
みひろちゃんは、いいコだよっ!!頭もいいし、お料理も上手なの!つき合って損は絶対ないよ!」

…やっぱり…思った通りだ。
わかっていたことだが、橘は手紙を握りしめたまま、うなだれる。
「どおしたのぉ~?橘くん~?」
橘の気持ちなど、つゆ知らずのみはるは「?」といった表情で橘の顔をのぞき込む。
「まさか…断っちゃうのぉ?」
「え、いや、あの…」
「みひろちゃんを泣かせたら、このあたしが許さないからねっ!」
そんなこと言われたって…僕が好きなのは君なんだよ!!
…なんて、死んでも言えない橘は、肩を落とす。
結局、半ば無理矢理に、橘はみひろに会うことになった。

日曜日、午後1時。
橘は、みひろが手紙で指定していた待ち合わせ場所にやって来ていた。
「はぁ…なんでこんなことになっちゃったんだろ…」
深いため息をつく。
自分のことなど、ぜんぜん分かってくれないみはるなど、やめてしまおう。
そう思いこもうとしたことは、何度もあった。
けれども…どうしても諦められなかった。それほど彼女のことが好きだ。
たとえ、他の女の子を平気で紹介してくる彼女でも…
(まあ…はっきり自分の気持ちを言えない僕も悪いんだけど…さ…)
今日、みひろに会ったら、きっぱりと断るつもりだ。

「それにしても…待ち合わせは1時半だっけ…早く来すぎちゃった…」
まあいい、気長に待とう…
と、橘は街灯の柱に背もたれる。
「こ、こんにちは!来て下さったんですね!!」
(え?もう来たの?早いなあ…って僕もだけど)
橘は、声のあった方に振り向く。
(……え!?)
みはるちゃん!!!
どうみてもみはるである。 ただいつもと違うのは、髪をおろしていることくらいだ。
「はじめまして。森川みひろです」
(…思い出した…!!!みはるちゃんのお姉さんって…みはるちゃんと双子って言ってたっけ!!)
今日は眼鏡をかけていない。
そのせいもあって、どこからどうみても、みはると同じ顔。
(ど…どうしよう……)
断るつもりだったのが、どうしても、意識せずにはいられない。
「よかった!私、緊張して1時間前からここにいたんです。
来てくれなかったらどうしようかと思っちゃいました」

と言って、みひろは微笑む。
(ああ~!!ダメだ~!!!)
微笑んだ顔が、また可愛すぎて、橘は赤面する。
(顔が同じだからって…僕の気持ちってそんなもんだったのかっ!?)
「どうしました?あ、じゃあどこか入ります?私、美味しいケーキ屋さん知ってるんです」
そう言って、みひろは橘の手をひいて、歩き始めた。

「え~っと…じゃあ、あの…お名前教えていただけます?」
まだ動悸のおさまらない橘は、少し震えた手で名刺を渡す。
名刺を受け取ったみひろは、小声で「おおしま たちばなさん…」と呟いた後、
社名を見て驚く。
「大島さん、妹と同じ会社だったんですか!?
あの、森川みはるっていうんですけど…知ってますか!?」

(ええ、よおーーーーーっっく知ってますよ…。)
と、心の中で叫びつつ、
「ええ、知ってますよ…」
とだけ言う。
(みはるちゃん…お姉さんに自分が僕と同じ会社だってこと、教えてなかったのか…)
「あ、あの…大島さ…え、えと、『橘さん』って呼んでもいいですか?」
橘は、名前が珍しいせいか、苗字で呼ばれることはほとんどなかったため、
名前で呼ばれることに抵抗など無かった。
「ええ、かまいませんよ」
「ほんとっ!うれしいっ!!橘さんてお名前、とってもステキですものね!
名刺見たら、名前で呼んでみたいと思いました!」

そう素直に誉められると、照れる。
ましてやみはると同じ顔でそんなこと言われたら…
まあ、当のみはる本人は、初め自分の名前を苗字だと思っていたくらいの認識だが。

それから約数時間、二人は会話を楽しんだ。
みひろがみはると違うところは、
みはるよりも知識が豊富なところ。
顔は同じだが、声はみはるよりも低めで落ち着いていること。
そして、意外と行動が積極的なところ。
悪い子ではない。みはるの言うとおり、いい子である。
けれども、どうしても。
みはるよりも……と、どうしてもみはると比べてしまう。
そんなことは、自分を好いてくれる彼女に失礼だ、と思いつつも。

気が付けば、夕方である。
二人は、最初の待ち合わせ場所である駅に戻ってきていた。
「ありがとう。今日はとっても楽しかった!」
「いえ…こちらこそ。ごめん、僕あんまり話し上手じゃなくて…」
「そんなことない!今日会って、橘さんのこと、ますます好きになっちゃった…」
そう言ってみひろは顔を赤らめる。
(う゛…そ、そんな正直に言われると…どうしよう…断ろうとしてるのに…)
「あ、あの…みひろさん…」

なんとか切り出そうとする橘の言葉を遮り、
「…また、会って下さいます?」
みひろは、上目遣いで橘を見つめる。
「え…っ」
(そ…そんな目で見られたら…何も言えなくなっちゃうじゃないか…)

思わず目をそらす。
とまどって、なんとも返事のできない橘。
「…橘さん」
「は、はい?」
再びみひろの方を向く。
その時。

橘の唇に、ほんの一瞬だけ、柔らかい感触。

「ふふっ、今日のお礼です!」
突然の出来事に、言葉を失う、橘。
「今日はホントに楽しかった!今度、電話しますね!じゃ、また!!」
そう言い残し、みひろは改札をくぐっていった。

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